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宗教について

 若い同僚から,宗教の話は是非授業中取り上げておいた方が良い,と強く勧められたので,恐る恐る話しました.
 留学先で決して「無宗教」とか「無神論」とか安易に口にしてはいけない.宗教と戦う気なら別だが,日本的宗教習慣に静かに流されていたいだけなら,反って海外で警戒される心配がある.もし宗教を問われたら,「仏教徒です」と答えなさい.「ただし,ろくに教会に行っていない悪い仏教徒なのです」と付け加えなさい.いやこっちもキリスト教徒のくせに日曜に教会なんか行ってないよ,とここでようやく普通の話が始まるでしょう.―――
 そうしたらもう,半ばは手遅れで,何人かの学生はホームステイ先で宗教を問われて「無宗教」と答え,相手が突然硬い態度になり,倫理観や生活習慣などを詰問調で聞いてきて,面食らった,というような経験をしていました.「無宗教」と答えておくのが「一番安全で楽な」スタンスだと思っていたのだが,国際的には決してそうでないことを知りました,と感想を書いてくれた学生もいて,安心したものです.
 教員がカルトの布教をするのは論外で,犯罪的ですが,それと同じくらい,自分の中の日本的宗教観に無反省な「宗教観」(「無宗教感」?)を教員が垂れ流すと,これから国際的に活躍しようという学生達にとって有害です.

 大学も学校ですので,学生の教育研究を担当する教務・学務関係の業務の他に,それ以外の学生生活全般の支援を担当する業務があります.中高の生活指導に対応しますが,さすがにもう髪型や服装について目を光らせることはないものの,未成年の飲酒(それに伴うアルハラ・傷害)等の逸脱行為に注意を怠るわけに行きません.またそんな悪い方の話ばかりではなく,サークル活動やボランティア活動等の課外活動の援助,学生寮や奨学金・学費減免,困難を抱えた学生へのアドヴァイスといった,様々な分野に広がっています.専門の教職員ばかりで対応できれば良いのですが,人手不足ですので,専門に近いとか,慣れているとか,そこは色々にやりくりしています.学生一人一人の事情を聞いていると胸に来るものがありますから,持ち出しでも手を差し伸べたくなります.学生支援の教職員の皆さんの努力には,本当に頭が下がります.
 昨今大学での無理な予算・人員削減が,例えば入試業務に悪い影響を現しています.入試は日常の業務の外側で特別の任務となるので,作問チェックに十分な人と時間がかけられず,あちこちの大学で入試業務に重大なミスが頻発し,社会問題になっています.こういう事態と並んで私は,見えないところで大きな負担のかかる学生支援の諸業務に重大な不備が発生するのではないかと恐れいています.
 この学生支援の大きな分野の一つに,勧誘対策・カルト対策があります.ひときわ責任も重く,場合によっては身の危険さえ伴いかねない業務です.カルト対策については教職員全員が知識を持っているべきなので,私たちも研修を受けます.そこで教わったことは,また私たち自身が個別の授業に生かして行きます.

 カルトと言えば,無知で無垢な学生を経済的に破綻させたり,生活を破壊する悪質な「新宗教」のことをすぐ思い浮かべがちなのですが,実際はもっと広く深い問題だということを教わりました.

カルトには,
 
「宗教的カルト」
「政治的カルト」
「経済的カルト」

の3種類があり,市民としての健全な判断を失わせ,生活を破壊する組織的勧誘の全てを指します.マルチ商法や怪しい投資話の方が今日では問題なのだとも言えるです.要は詐欺に引っかからないというのと同じような話です.自分は絶対大丈夫だと高をくくるのが一番危ない,誰が騙されてもおかしくないとよくオレオレ詐欺対策の啓蒙活動等で言われますが,これはカルト対策と根本のところで深く結びついているのです.
 ここで私たちが考えなければならない二つの重大な問題があります.

 一つは,「宗教的カルト」「政治的カルト」「経済的カルト」それぞれに,信仰の自由・政治活動の自由・経済活動の自由が法的に保障されているので,成人が生活を犠牲にして特定の組織・活動にのめり込んでも,これをすぐ法的に規制することはできないのです.それどころか,あの宗教団体はカルトだから危ないので近づくな,あの企業はカルトだから危ないので近づくな,と公的に具体名を名指して発言すると咎められ,訴訟を起こされればこちらが負けることになる,ということです.

 もう一つは,カルトがいけないというのなら,何故いけないのか,逆にどんな市民的生活が「健全」で「望ましい」ものなのか,そこを私たち学生を支援する側がはっきりとつかんでいなければならない,ということです.
 「宗教は恐い,分からない,私は無宗教・無神論だ」とか,「政治は嫌いだ,関心が無い」などと(日本人の日常生活ではよく耳にしますが),安直に言ってはいられないのです.

 「政治的カルト」に巻き込まれないようにするためには,自立した主権者として政治的な権利を行使し、義務を果たさねばならない.そのための知識や判断力を持たねばなりません.
 「経済的カルト」に巻き込まれないようにするためには,自立した経済的主体として,まっとうに金を稼ぎ,消費生活を送り,資産を持ち,家族と生きていかねばならない.そのためにお金との正しい付き合い方を身に付けていなくてはなりません.
 「宗教的カルト」に巻き込まれないようにするためには,自立した道徳的主体として,他の人々と協調し,差別や人権蹂躙と戦い,自分のものも含めて様々な宗教的習慣と適切に向き合わねばなりません.
 いずれにしても,ここは議論の余地があるところとは思いますが,家族を初め,共に生きる人々の共感や承認が得られる生き方をしなくてはならないのです.敢えて社会の大勢に抗して特定の主張を貫くために戦うにしても,本気で戦って「勝利を得たい」のなら,やはりそれはそれで共に生きる人々からの新たな共感と承認を求めなければならないはずです.

 ここで特に日本の学生達に教えておかねばならないのは,「無宗教・無神論」だと,特にアメリカやヨーロッパやイスラム圏等、海外の殆どの国で安易に口にしてはならない,ということです.
 宗教というのは,科学的には証明しにくいが私たちの行動指針として強固な力を発揮する,価値観の束や,それと不可分に結びついた生活習慣の複合を指します.衣装のように選り取りして選べるものでは本来ありません.伝統的な大宗教は,長い時間かけて現実生活に差し障りがないように練り上げられた,人と人とが信頼し合う手がかりになる価値観と生活習慣のパッケージになっているのです.敢えて無宗教の葬儀を選んだり,会費制のパーティのような結婚式を企画して親戚知人を納得させることを積極的に推し進めるのが本来「無宗教」であり,場合によってはもっと戦闘的に,聖職者や教会に攻撃をしかけ,これらの宗教的制度の撲滅打倒に邁進するのが「無神論」であります.安易に日本の外で「無宗教・無神論」だと口にすると,伝統的な倫理観を全否定することを是とする人間ではないかと,道徳的に警戒されます.偏見かもしれませんが,西ヨーロッパの人々を見ていると,日頃教会になんか熱心に通わないくせに,異文化異教徒との交流や協働の話になると,急遽キリスト教徒としての自覚を振り回すような気がします.日本人が「無宗教」を安易に口にするのは,こういう宗教の機能に抵触する態度なのです.
 日本人が「無宗教」と言うのは,神仏習合や祖先崇拝に八百万の神様がごっちゃになった独特の日本の宗教習慣「以外の宗教は持っていません」という意味に他なりません.「無神論」の場合は、それ以外の日本の伝統に反する宗教は積極的に憎みます,という意味ですらあり得るでしょう.そしてそれを,特定の日本的宗教ではなく,当たり前の常識的な無色透明な生活習慣に過ぎないと信じ込んでみせるのが,日本で多数派に溶け込み,いじめられないで済む,「安全なポジション」なのです.こんなこと,そのままでは日本の外では通用しないと思います.
 「無宗教」なら,お前の倫理観を何を手がかりに信用すれば良いのか(宗教があっても人は罪を犯しますが,それでもこう言う考え方をします)と問われているのですが,ここで健全な常識とか理性の判断,と答えても共感は得られない.学問的に前提を明確にした上で精密な議論をしているのであればともかく,日常会話でこんなことを言っても,要するに「俺様が正しいと判断する事が正しい事だ」と言っていることにしかならない.もっと言えば,「俺様教」の布教をしに来た,何故こんなすばらしい「俺様教」の教義をお前達も一緒に拝み,信奉しないのか,と主張しているようにさえ見える.
 本当は現代の宗教は,天賦人権の思想だろうから,「俺様教」が言いたかったら,もっと反省して,思想的に深め,洗練させなくてはなりません.

 科学が発達して,人間に実体としての魂などはない,死んだら人間はただの物質に帰る,と隅々まで証明されても,だからと言って,人間の肉体を(生きていても死んでいても)辱めて良いことには全くならないから,宗教生活を大切にすることと科学とは全く矛盾しないと思います.長い戦いの歴史がありましたが,科学が概ね勝ったようですので,なおさら口を極めて宗教を否定して見せなければ科学的だと見てもらえない,という時代でもありますまい.
 大学では,科学を中心にした教育の中で,こういう現代の宗教観についても教えなくてはならないと思うのです. 

スコポス その2

 ずっと以前は工学部の学生でも理学部の学生でも第二外国語は必修で,しかも2年生の講読の授業までたっぷりやらされ,大学院入試にも外国語が二科目あったりしたものでした.結構な負担であったと思いますが,それなりに大半の学生は黙々とこなしていました.今の学生に話しても信じてくれないというエピソードを聞いたことがあります.
 あの頃は,私の親より上の世代の先生方が,文理を問わず語学で学生を締め上げ,容赦なく落第させていました.後のノーベル賞受賞者に大学院進学を諦めさせたドイツ語教師などがいた時代です.シェークスピアやゲーテは理科系の学生に必要ないという批判が今でも見受けられますが,批判する方が,あの頃の記憶をまだ引きずっているのでしょう.もうとっくにシェークスピアやゲーテを読ませる一般教養の語学授業などありませんから.

 あの頃,理科系だと,全く語学の勉強になじめず,七転八倒する学生もいる反面,森鴎外ではないが語学学習のコツをひょいとつかんで平気で片付ける学生,また更に進んで,語学の面白さに目覚めて,得意科目になり,のめり込む学生もいました.こうなると,語学の教師として嬉しい反面,専門の勉強に障りはしないかと,こちらが反って冷や冷やしたりしました.その頃のお話しです.

 一般教養で私がドイツ語を教えた,応用化学の学生さんが,卒論だったか,修論だったかの準備中に,ドイツ語の論文のコピーを抱え,久しぶりに私の研究室に飛び込んできたことがあります.語学が好きになった口の学生でした.自分の研究で扱っている化学物質に関する論文が,なんと100年前のそれしかない.読解するのを手伝ってくれないか,というのです.
 趣味で文学テクストを原文で読んだり,留学に必要な欧文書類の作成を手伝ったりすることはありますが,理科系の専門内容に関する論文の読解を手伝ったのは,後にも先にもあの時だけです.自然科学は日進月歩だから,読むべき論文はごく最近のものだけ,下手をするとこの一年以内に発表されたものでないと価値がない,というようなお話しを伺っていたので,自然科学研究で100年前のドイツ語論文が必要になることがあるなどとは信じられませんでしたが,化学や生物学などでは,全くないことではないのだそうですね.
 文中の化学式を見ただけでこちらは気が遠くなりましたが,ざっと見たところ構文も語彙も(専門用語を除けば)さほど難しそうではないので,とにかく文法と語彙の用法でこうしかならない,このようにしかつながらない,ということだけこちらから言うから,専門用語でつないでみて,それで意味が分かるかどうかそっちで一つ一つ判断してくれと言い,共同で読解作業をしたのです.小一時間もやったでしょうか.
 端から見たらさぞや珍妙な共同作業だったでしょう.二人でコピーのドイツ語を見ながら,これが主語,これは主格補語,この部分が2格名詞句で拡張された4格目的語,こちらの4格名詞句は副詞句,この前置詞句はおそらく「~であるにもかかわらず」という意味の副詞句・・・などと私が解読し,学生の方がふん,ふん,なるほど,あ,そうか,などと意味をとって追っていきます.その真剣な眼差しの美しかったこと.こちらとしては何が何だか分からないうちに作業が終わり(読解としては異例の達成感のなさです!),役に立てたのかどうかも分からないうちに,学生は礼を言って走り去っていきました.

 この学生はリケジョとやらのはしりで,陰に陽に立ちはだかる様々の差別に泣き,怒りながら,工学博士・弁理士となり,今や赤坂辺りで,私などがおいそれとは近づけないような立派なビジネスウーマンとして活躍しています.
 私が教員生活で多少なりとも関与できた,文理融合の実りであります.ひょんなことから転がってきただけですが.
 まことに翻訳の本質はスコポス(翻訳目的)であるなと,しみじみ思い出します.

スコポス

 1980年代のドイツから始まったことですが,翻訳研究でスコポス(翻訳目的)ということ言います.原テクストを絶対的規範であるかのように捉え,これをできるだけ「正確に」別言語に「移す」ことを翻訳の本質であると考えるのではなく,翻訳する側の「目的」に従って様々な翻訳テクストの可能性があるとする考え方です.
 だいたい戦前から既に戸坂潤が断言していますが,一語一語の「概念」をそのまま翻訳することは不可能で,翻訳が可能なのは理論の枠組みだけだ,とされます.
 科学技術関係の教科書やマニュアルなどだと,通例英語で書かれていて,しかも内容は科学的で,素養のある人間なら誰でも理解できるわけだから,翻訳の「良し悪し」などに文句を付けている暇はない,英語の原テクストを理解するためのほんの手がかりだから贅沢は言わない,という話を技術系の方から聞いたことがあります.翻訳が気に入らなければ,英語原文で読むまでだ,ということですね.
 これに対して,文学作品などエンターテインメントとなると,素養の無い人間が楽しめるものでなければ翻訳の意味が無いから(研究するのだったら原文に当たれば良いことですから),翻訳も創造的になります.
 極端な例が,ポプラ社版の南洋一郎訳『ルパン』シリーズと,山中峯太郎訳『ホームズ』シリーズであることは,よく知られています.子どもの頃ポプラ社版のルパンやホームズに親しみ,大人になって懐かしくて「完全訳」の方に手を出してみると,全然印象が違っていて,昔のように面白くなく,がっかりした経験を持つ人は多いと思います.先日授業でこの問題を取り上げてみたら,今の学生でも同じ経験をしている人がいるらしい.原文・完全訳・ポプラ社版で比較して見せてあげると,これほど違うのかと驚嘆していました.今の人ですね,学生達が先ず第一に心配するのが著作権のことで,知財に関して意識が高まったのは良いことだと思います.―――以前の翻訳状況で著作権の問題がどれほどすさまじい扱いを受けていたか,私らは見聞きした最後の世代ですが,まだとてもエピソードをご紹介できません.

 私自身恥ずかしながら拙い翻訳を出したこともあるし,それ以上に,翻訳を行っている人から,ラテン語の引用句などの質問を受けることが多々あります.研究者同士の楽しいやりとりになるとは限りません.言語学者が丁寧に説明しようとすると人が逃げ出すのは有名ですが(公平に言って,趣味に走ったこっちにも悪いところはあると思うが),素人や学生ではなく,同業者すらそれをやってくれます!
 AかBか答えてくれれば良いんだよ!みたいな駄々をこねられるのはまだ良い方で,じらさずに,早く答えを言えよ,みたいなのさえあります.
 問題のラテン語が出ている原文と翻訳ゲラを見せてくれるのですが,ラテン語どころか,ドイツ語の地の文の翻訳がそもそも「間違って」います!いえ,良い日本語とか言ってるんじゃなくて,否定と肯定が逆になってたりするのです.ついでにそれも翻訳者に向かって指摘するのですが,ラテン語以外のことでお前に口を出される覚えはない,とばかりに無視されます.

 先に紹介した「文系は糞bot」さんで感心したのは,白水社のクセジュ文庫や法政大学出版会の翻訳の問題点を指摘してあったことです.文系の人間でも,手に取りにくい面倒な書物が目白押しなのに,よく勉強されていることです.
 あのタイプの学術書の翻訳が,スコポスから見ても一番難しいところです.専門的な学術書としても,専門外の教養書として楽しめるものとしても通用する翻訳でなければなりませんから.
 クセジュ文庫の元になったフランス語の叢書は,元来高校生がレポートを書くための参考書だから,「正確な」翻訳などより,翻訳者が日本の学習者向けにそれぞれのテーマの入門書を自由に書き下ろした方が良いと思います.荷が重いことはない,そちらの方が話が早いと思いますが,そういうものはなかなか売れないという出版状況の厳しさが問題です.

 国際的文化交流もグローバル化も,現場で一番大事なことは,色々なレベル,様々なスコポスに基づいた広義の翻訳です.もっと多くの人に翻訳研究の価値と奥深さが理解されることを望みます.

西村靖敬先生、お疲れさまでした

 1月25日(木)に,一足早く西村靖敬先生の最終講義とお別れ会がありました.30年にわたって千葉大学における比較文学・仏語仏文学の教育研究を牽引してきた先生と,今年度限りでお別れとなるのは,本当に残念でなりません.何事にも誠実真摯で,しかも冷静沈着,穏やかで優しい態度を崩すことのなかった西村先生はまた,学生からも私たち同僚からも,とても慕われ,信頼され,尊敬されていました.
 国立大学法人化で千葉大学が揺れていたときも,穏やかな中に毅然たる態度で筋の通った西村先生の発言に感銘を受け,千葉大学文学部教授会はまだ40代であった西村先生を学部長に選出しました.以来学部長2期,引き続いて図書館長を務め,その後も各種役職を歴任し,法人化後の初代文学部長として私たちを導いてくれました.かくて西村先生の人柄と能力と責任感につけ込み,私たちは西村先生を極限まで酷使したのであります!
 愚痴一つ口にせず責務を果たしながら,西村先生は研究にも着実に成果を上げ,優秀な学生を育ててきたのです.その厚みが,最終講義で胸に染みてきました.

 比較文化研究は,名称をもっと相応しいものに変えた方が良いと思えるほど,誤解されている,と西村先生は最終講義の冒頭から,簡明に比較文化研究を定義します.第1にトランスナショナルな対象を扱うものだ,第2に芸術の諸ジャンルを超えて影響関係を扱うものだ.作り手も受け手も,言葉や民族の違いなど気にせず,交流し,理解し合っている.言葉の違いを越えられない障壁と捉えているのは,むしろ研究者なのではないかと思うと,明快に指針を示します.それから―――
 それからが真骨頂です.ドイツ語・フランス語・英語・日本語等の原文を精密に分析しながら,「内的独白」の技法の伝達受容を,森鷗外までたどっていきます.比較文学研究に不可欠な第3のポイントが,精密で科学的な多言語テクストの解釈と比較考察であることを,それ抜きにしてはありえないことを,西村先生はまさに実例で示していくのです.
 これは私たちの原点でした.ここから夢と希望をもって歩みだし,また戻ってくるべき場所でした.西村先生の苦労に比べれば何ほどでもない管理業務の忙しさにかまけ,ろくに勉強もしなくなったいた私は本当に恥ずかしい思いをしました.

 西村先生,本当に有り難うございました.
 もっと研究や教育のお話しがしたかったと思います.
 もっと多くのことを教えてもらうべきだったと思います.
 お元気で.

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Elliott Carter

 先日,日経新聞の文化欄で,ピアニストの朝川万里氏が,アメリカの作曲家 Elliott Carter (1908-2012)へのオマージュを書いていました.新しい音楽の可能性を求めて,文字通り心血を注ぎ,真摯に努力を積み重ねてきた一人であると思います.その分,カーターの音楽は密度も緊張度も高く,彼のピアノ曲,例えば代表作の一つと言われる ”Night Fantasies” など,20分余りの長さですが,それだけの時間,緊張を持続させ,精密に作られた音の流れを追っていくことが私にはできません.直後に Webern を聞くと,その良い意味での保守性や抒情性にほっとするほどです.若い頃はあれだけ手強い相手だった Webern なのに.

 けれども,初期の頃の,新古典主義的であったカーターの "Elegy" は好きです.10代の頃感じていたことの全てがこの一曲あるような気がします.いや,全てではない,他の一切の雑音騒音夾雑物の中で,感じるべきであったこと,感じる必要があったこと,感じていたかったことーーー今にしてやっと分かるその全てがあるように思えます.なぜあの時でなく,今聞いているのだろう,そう思います.好きな曲を聞いたときは,いつもそう思います.
 今はネットを通じ,かなり特殊な音源でも聞いてみることができます.若い頃には想像もできません.あの頃は,年寄りの回顧をお許し下さい,NHKラジオの「現代の音楽」という50分の番組が現代音楽に触れられる殆ど唯一のチャンスで,私の頃は上浪渡氏や柴田南雄氏の解説で色々なことを学んだものでした.
 大げさではなく,思うのですが,あの頃カーターを知っていたら,親しめる環境にあったら,私の人生は全く違っていたのではないかとさえ思います.

 エロル・ガーナーの「ミスティ」が好きだと言うと,ジャズの通たちから鼻先で笑われると聞いたことがあります.カーター理解者の皆さんの前で,「エレジー」が好きだと言うのも,同じ大胆なことかもしれません.
 
 音楽の魅力の物質的基礎は,中学校までの数学や理科の知識で理解できます.(言語の基礎になる音声も同様に扱えます.)私に責任が持てるのはその程度までですが,いつか授業で,そこまで立ち入って音楽の文化的・精神的意味を探る話ができたら良いと,夢を抱いています.
 俗に,数式と楽譜と横文字は,学生や聴衆がこちらの話を聞いてくれなくなり,逃げ出す三大要因だと言います.その全てが登場してしまう授業になるので,大変な目論見です.
 どなたか付き合ってくれませんか,年寄りのはかない夢に.

 

@さよなら文系

 ツィッターの面白い投稿の中に,「文系は糞bot」というのがあり,独断と偏見が売り物で,毒のある露悪的な表現ですが,なかなか面白い内容で,私のような職にある者を考えさせてくれるのです.しばらく投稿が途切れていたので寂しく思っていたら,気付かないところで「文系は糞bot.zwei」やら「文系は糞bot.drei」があり,中の人の関係は分かりませんが,ますます意気軒昂で怪気炎を上げており,安心した次第です.表現が色々過激なので,そのままここでご紹介できないものが多いのですが,比較的穏やかなところで心に残ったものを引用させて頂きます.

米国で働いてる某日本人文系大学教員曰く、文系学問で死期が近い分野の見分け方があるそうで、それは「人と人とのよりよき結び付き」とか「充実した生のいとなみの評価」みたいに「やさしい世界」的なワードをたくさん使った結論の論文が増えてくるとそこの人材が枯れてる証拠なんだそうです。


大学の文系科目の期末試験なんて、授業内容丸暗記記憶テストか採点基準意味不明の作文コンテストのどっちかしか無いよな。人文系の教員なんかだと作問能力が大学受験の時で完全に止まったままだったりする。暗記教育を脱せよだの口先だけで実際は丸暗記テストしか作れないし論文も書けない糞文系。



昔の法政大学ウニベルシタス叢書や白水社クセジュ文庫とかの時間切れでヤケクソ書いた英文和訳の答案みたいな誤訳まみれで無茶苦茶の日本語見てると、ああやっぱりこれが日本の文系の能力の限界だったんだろうなと思いますしそれを読んで育った世代の学者も馬鹿ばっかりなんだろうなと察しが付きます。


お前ら糞文系は少しはこのbotの存在を有難がれよ。だってここまで文系にも分かるように理系の文系観を言語化して説明してるものなんて多分これから一生他に見ることも無いと思うよ。一見怨念吐き出しに見えて一つ一つの呟きがもの凄いディープな文理対話であることに気付けよな。引用自由だからな。


数字に弱く、機械音痴で、論理的思考力に欠け、忍耐力が無く、近視眼的で、常に人のせいにしてばかりで、自堕落で、嘘つきで、嫉妬深く、屁理屈ばかり捏ねている愚か者… これが理系から見た文系の率直なイメージね。 つまり、履歴書に「文学部卒」とか書いてると理系はこういう風に人を見る。


人当たりの良さそうで、穏やかな物腰の理系老教授が秘めた文系憎悪って本当に凄いよ。 お前ら文系は理系学部の内情知らないから想像も出来ないだろうけどな。まさか、あの笑顔のおじいちゃんが、って感じだよ。


 これから本部の会議に参りますが,礼儀正しく接して下さる理系学部の幹部の先生方も,腹の中ではこういう風に思っておられるんだなと肝に銘じ,世の中を甘く見ないように気持ちを引き締めて行きたいと存じます.
 理科系の先生方,これまでの失礼の段,どうかお許し下さい.

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2018年仕事始め

 学長新年挨拶がありまして,短い年末年始のお休みも終わり,仕事始めとなりました.これまでの大学改革の成果を踏まえ,一層大胆な道に進む決意を示した学長の言葉は,動画で公表される予定と聞いています.(毎度下手な素人写真で申し訳ありません)

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 各自与えられた部署で,若手の方々と学生の皆さんに,何が残せるか,それに尽きます.

 どうぞ本年もよろしくお願いいたします.

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明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 新学府もおかげさまでようやく最初のお正月を迎えられました.皆さまの御理解とご支援を賜りまして,何とか新しい組織も制度も進んでおります.国の内外で何かと先行きの知れない情勢に脅かされながらも,人文社会科学の一灯を更に守り育てていきたいと存じますので,いっそうのご指導ご鞭撻を頂けますよう,心からお願い申し上げます.

 詳しくは申しませんが,自分の勉強はおろかのこと,楽しい授業準備もそっちのけで,大量の書類仕事に追われております.

 とは申せ,誰かの目を盗むかのように,『ポップカルチャー論』の授業には避けて通れないだろうと菊池寛の事を調べ直し,あまつさえ作品の一部を読み返したりもしておりますので,まだまだ書類仕事への真剣さが足りないとお叱りを蒙るかも知れません。

 更にまた,恥ずかしながらようやくKindleを入手しました。間違って須賀原洋行『うああ哲学事典』上下のKindle版を発注してしまい,これをきっかけに前から欲しかったKindle本体も購入にした次第です.手に入りにくかった上の菊池寛の作品も,Kindleで落としました.
 Kindleで感嘆したのは,著作権の切れた名著が安く入手できることで,Oxfordの古典ギリシャ語辞典も,ラテン語辞典も,サンスクリット語辞典も,何百円という程度の価格で入手できるだけでなく,ラテン語に到っては,英語など現代語のようにテクストに組み込んで使える,ということでありました.
 残念なことにギリシャ語は変化形が追いつかないらしく,またサンスクリット語はアスキーベースで翻字してあるため,テクストに組み込めません.どなたか良い方法を御存知の方は是非ご教示下さい.
 EbWingというフリーソフトを使えば,古典語の電子辞書が自分で作れることは以前に知り,自分も大いに活用させて貰い,学生諸君にも勧めています.今回ようやくKindleでも格安で古典語の学習が可能である事を発見し,喜んでいます.

 短い年末年始のお休みに,書類仕事から逃避しつつ,こんなことにちょこちょこ幸せを見出しております.

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クリスマスおめでとうございます

 年末は28日まで仕事,年始は4日から仕事。しかもこの短い休みの間に読み切らなければならない5cmばかりの分厚い書類の束.インフルエンザに倒れないでいられるのがもっけの幸いです.何とか時間をみて,久し振りに教会に行き,クリスマスミサに与ってきました.
 皆さまの上にも平和がありますように.

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鷺来たる

 図書館前の語らいの森の池に,また鷺が来ているようですが,私では判別できません.カラスではないようですし,カラスをサギだと言い張る気もないのですが.
     
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