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ラテン語の第二回説未来について

 「第二回説未来」という用語を使ったら,「第二回・説未来」と読んで意味が分からず,質問してきた方があったので,改めて説明しておきます。

 「回説」(かいせつ)または「迂言」(うげん)というのは,periphrastic の和訳ですが,ラテン語とギリシャ語でしか使わないようです。たとえば動詞変化の文法カテゴリーが,一つの動詞の変化形だけでは表せず,機能動詞(助動詞)と動詞派生語(分詞や不定詞)による複数の語によって表されることです。近代諸語では当たり前で,「have + 過去分詞」とか「werden + 過去分詞」というあの形式です。動詞については,現代フランス語文法で使う「複合時制」とおなじことなので,私はこちらで統一した方が良いと思います。ちなみにサンスクリット語では「複合」を使っています。

 古代の言語は単一の語の変化で全ての文法カテゴリーを表す「統合的」タイプ(synthetic)だが,近代語は複数の語で表す「分析的」タイプ(analytic)に変化した,と大雑把に説明されることがよくあります。言語類型学(language typology)のごく基礎段階の話です。
 ラテン語:mutabor → 英語:I will be mutated.
 (この例文でピンときた方はかなりのマニアです。ハウフ「コウノトリになったカリフ」に出てくる呪文です。花田清輝がこれについて評論を書いています。)

 けれども,現代語を考えてみてもわかりますが,統合的タイプと分析的タイプは,一つの言語の中で交じり合っています。良い例が形容詞の比較変化です。フランス語では分析的変化の一本鎗(plus),ドイツ語では統合的変化の一本鎗(-er/est),英語では形容詞の語尾によって統合的変化(-er/-est)と,分析的変化(more/most)を使い分けます。

 さて,ようやく本題です。ラテン語の時制は,直説法の6時制のうち,完了系の3時制の受動態だけが esse + 過去分詞 による分析的変化(回説変化!)で,残りはすべて統合的変化です。
 ところが用例は少ないのですが,この動詞変化体系とは別に,回説未来(複合未来!)があるのです。第一と第二の二種類がありまして,第一は esse + 未来分詞,第二は esse + 動形容詞(gerundivum)です。第一を能動態,第二を受動態として使い分けます(お分かりのように,従って特に第二はモダリティの問題と不可分になりますが,ここでは立ち入りません)。
 主動詞よりも後のことを表すので,回説未来(futurum periphrasticum)と呼ぶのですが,主動詞の時制に一致させ,結局 esse の全時制において変化可能なので,単に「回説変化(conjugatio periphrastica)」と呼ぶ文法書もあります。Kühner のものがそれで,古い文法書ほど詳しい説明があるようです。日本語で書かれた文法書では,あの『新ラテン文法』以外に詳しく扱ったものはありません。要は間接話法で「未来」=「主動詞よりも後に発生する」ことを表現するために用いる動詞変化です。

 入門段階でも詳しく説明する時間的余裕はないし,かといって講読授業でテクストに頻繁に現れて解説を補えるものでもなく,教師の泣き所です。折角の機会なので,この場を借りて簡単に説明させてもらいました。

「ニキータ・アレクセーエフ 岸辺の夜」展

 ロシア現代美術を代表するアーティスト,ニキータ・アレクセーエフの個展が,千葉大学文学部主催で千葉大学附属図書館において6月8日~6月28日の間,開催されます。詳細は以下のページでご覧ください。

http://www.l.chiba-u.ac.jp/topics/30.html

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「子ども食堂とフードバンク」

 フードバンクちばの設立5周年を記念したイベント「子ども食堂とフードバンク」が本日2017年6月10日(土)10時から千葉大学人文社会科学系総合研究棟を会場にして開催されます。コメンテーターを千葉大学大学院の特任助教伊丹謙太郎氏が務めます。

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 フードバンクちばについては以下のページをご覧ください。

http://fbchiba.ko-me.com/Entry/321/

チバニアン時代

 千葉県市原市にある約77万年前の地層が地質学上大変重要な意味を持つことが分かり,もしかしたら地質時代の一つがこれにちなんで「チバニアン」=「千葉時代」と名付けられる可能性があるというニュースが流れました。イタリア南部に「ライバル」がいるのだそうで,夏に南アフリカのケープタウンで開かれる万国地質学会議で最終決定がなされるようです。学問的な仔細はよく分りませんが,地元の重大ニュースです。

 これについて,「チバニアン」がラテン語の学名として正しいのかどうか,ちょっとした議論になっているそうです。
 
 ラテン語の地名は:
 1)古くからの用例があれば,それに従う。
      ローマ: Roma → romanus, -a, -um
     ラヴェンナ:Ravenna → ravennas, atis
     パルマ:Parma → parmensis -is
     ブリンディシ:Brundisium → brundisius, -a, -um
2)ローマ人にとって新しい(あるいは未知の)地名ならば,-ensis を付加して作る。
     東京:Tokio → tokioensis, -is
     北京:Pekin → pekinensis, -is

 ですから,慣例に従えば,千葉は ”chibaensis" 「チバエンシス」なります。こういう場合,原音を生かすので,hiatus(母音連続)を嫌いません。

 地質時代の名称を眺めると,英語で「-イアン」という形で揃っていて,失礼ながら地質学者の皆さんの美意識と軽い遊び心を感じます。それでも,その「-イアン」が,むやみに「-ニアン」になったり,「-シアン」になったりしているわけではなく,そこはきちんと歴史をたどり,根拠があって変化させてあります。(そうでなければ遊びとして完成しません!)

 千葉大の他のラテン語の先生も同じ意見ですが,この際ラテン語の学名の慣例にあっていようがいまいが問題ないように思われます。そもそも千葉の地名を歴史的にさかのぼっても,ラテン語になりませんから。ならば,この「チバニアン」という美しい名称を,この分野に携わる皆さんで自主的に決め,世界に発信していけばよいと思います。こういうことは,必ず当事者の主張が尊重され,国際的に受け入れられます。
 英語の Tokioite はあまり使われないような気がしますが,ドイツ語の Tokioter はよく使われます。日本の他の地名で,かような形容詞形を外国語において持っているものがあるのかどうか,まだ詳しく調べておりません。千葉が持っていても全然悪くありません。率先して公文書などで,「チバニアン」chibanian を使っていってはどうでしょうか?

奇妙な木

 文学部棟通用門前の自転車置き場に、奇妙な木が生えているという通報があったので,早速見に行きました。     

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 一件普通の灌木のようですが…

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 よくよく見ると,確かに何かがおかしい。思い切って近づいてみると…

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 おお,長らくろくに掃除もされずに放置されていた雨どいに生え,大きく育っていたのでした!
 これはかわいい。こういう子にはぜひ長生きしてもらいたいものです。

『歴史は科学か』

 尊敬する先生から,人文社会科学を学ぶ学生の導入用には,カーの『歴史とは何か』(岩波新書)も良いが,マイヤー/ヴェーバー『歴史は科学か』(みすず)がお薦めだと伺いましたので,大いに触発され,自分も扱ってみたくて教材を用意しました。古代ギリシャ史が専門の歴史学者エドゥアルト・マイヤー(Eduard Meyer 1855-1930)と歴史学者・社会学者マックス・ヴェーバー(Max Weber 1864-1920)の論争を一冊にまとめて翻訳したもので,便利なものですが,絶版で,古本はたいへん高価になっています。収められているマイヤーとヴェーバーの論文はそれぞれ版権も切れているので,原典のファクシミリ版がネット上でフリーに入手可能です。

マイヤーの "Zur Theorie und Methodik der Geschichte" (1902, in: Kleine Schriften zur Geschichtstheorie und zur wirtschaftlichen und politischen Geschichte des Altertums, 1910, Halle, 1-78)
(http://www.archive.org/stream/kleineschriften00meyegoog#page/n12/mode/2up)


ヴェーバーの "Kritische Studien auf dem Gebiet der kulturwissenschaftlichen Logie"(1905, in: Gesammelte Aufsätze Wissenschaftslehre, 1922, Tübingen, 215-290)  
(https://archive.org/details/gesammelteaufs00webeuoft)
です。

 希望者があれば,研究語学支援のために自主ゼミを開きますから,気軽に連絡をください。特にヴェーバーのドイツ語は難しいものですが,その分とても勉強になると思います。
 
 両者の最初のページを例示しておきます。

マイヤー:
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ヴェーバー:
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看板上掲式 続報

 『文教速報』5月22日付に先日行われた千葉大学大学院人文公共学府の「看板上掲式」の様子が掲載されましたので,紹介させていただきます。

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中動態

 気鋭の哲学者,國分功一郎氏が『中動態の世界』を世に問われ,評判になっているようです。言語学者の端くれである私からして,まことに我が意を得たりというところで,とても嬉しく,また頼もしく思います。言語学の諸概念や方法はどれをとっても,言語という社会的諸関係の基礎を論じるためのものなので,社会科学や哲学などの他分野に転用して幅広い議論に援用する誘惑に満ち満ちています。言語学の中にいてもむずむずするのですが,しかし言語学の中でそういう議論をし,スペキュレーション(思弁!)を弄ぶと,袋叩きにあいます。ゼミや研究会の段階で布団蒸しです。もうしません,許してください,明日から心を入れ替え,もっと丹念に辞書を引き,用例を調べる作業に邁進します,と誓うまで追い込まれます。私はできも悪く態度も悪い学生でしたから,先生方も見捨てていましたが,まともな同業者はみな若い頃から徹底的にこの点はしつけられています。

 中動態(medium)と言うのは,能動態(activum)と受動態(passivum)とならぶ,動詞変化の文法カテゴリーの一つである「態」(genus verbi)の一つです。インドヨーロッパ語では,ギリシャ語(古代にも現代にも)とサンスクリット語にはっきりと形態上の区別があり,他の言語においても様々な方法で表現され,残存しています。
 能動態と受動態という記述の方法は,きわめて単純に思えますが,実はまだまだ分からないことが多いのです。ラテン語・現代ドイツ語・現代スペイン語に見られる非人称受動(自動詞の受動態)とか,形態的には受動態なのに意味は能動態というラテン語のデポーネンティア(能動態欠如動詞)とか英語における一連の特殊な受動態の表現("be suprised at~"のような)とか、再帰動詞・代名動詞とか,これら学習者を悩ませる「奇怪な」文法事項の存在は,能動態と受動態という伝統的な文法記述に大きな不備があり,全体を完全には説明できないことを表しています。
 古代ギリシャ語やサンスクリット語を学んだ人にはすぐわかると思いますが,もともとインドヨーロッパ語の古層においては,能動態と対立しているのは中動態であり,受動態は中動態の特殊な一形態として後から形成されていったようです。

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 古代ギリシャ語を見ますと,「中動態」の用法はだいたい5つであったようです。「主語」の周りに「主語のテリトリー」のようなものを想定し,動詞で表された行為の結果がその「主語のテリトリー」の中に何らかの形で戻って来るものを「中動態」で表していたようです。この意味で,能動態でもなく受動態でもない,あるいはその両方でありうる表現です。

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 考えてみれば,私たちの行為は,完全に能動とも受動とも言いきれないものが多いようです。「驚く」という思いをしているのは確かに私だが,自分が選んで自由に「能動的に」驚いたわけはなく,必ず何か外の要因から「引き起こされた」「受動的な」感情なのだろうから," be surprised at" という英語の特殊な受動態による感情表現は,よくよく考えてみると,受動と能動を不法に股にかけるような文法的な矛盾を犯しても表現しようとしたものがあるのではないかと,しっくりくるものがあります。

 また他方で,能動態と受動態が完全に理論的に等価で,裏返しただけの表現であるなら,なぜそんな無駄が文法的に存在するのかも不思議です。
 実際はそうではありません。日本語では昔「迷惑の受け身」ということを言いましたが,今の研究ではどうでしょうか。私がお世話になった言語学の先生は,よく「ここに劇場が建てられる」と「ここに劇場を建てられる」という例文を上げ,前者を翻訳受動態と呼び,後者こそ日本語の元々の受身表現なのだと説明していました。能動態と受動態を完全に裏返しの等価物として疑わない学校文法に毒された目からすると,一見後者の例文が奇妙なものに思えます。人によっては即座に,後者などは言わない(そんな日本語ない!)と言ってはばかりません。私たちはしばらく考えないと,後者の意味が納得できないのです。それほど英語の学校文法の影響は大きいのです。

 まだまだ言語学には,使える概念がたくさんあります。ジェンダーや構造主義だけとおっしゃらず,どんどん持って行って下さい!

死の刺

     死の刺(はり)は罪なり,罪の力は律法(おきて)なり。「コリント前書15,56」

     τὸ δὲ κέντρον τοῦ θανάτου ἡ ἁμαρτία, ἡ δὲ δύναμις τῆς ἁμαρτίας ὁ νόμος.

     Stimulus autem mortis peccatum est, virtus vero peccati lex.

     (1.Cor.15,56)


 前から読みたかった梯久美子『狂うひと 「死の刺」の妻・島尾ミホ』(新潮社 2016)をようやく読み終えました。私小説の極北と言われる島尾敏雄『死の刺』(1977)は好んで読む作品ではありませんが,大きな衝撃を受けましたし,カンヌでグランプリをとった小栗康平監督の映画「死の刺」(1990,松阪慶子・岸部一徳主演)も忘れがたい感動を覚えました(個人的に岸部一徳のファンなので)。
 後に作家となる島尾敏雄は,第2次世界大戦末期に九州帝大で東洋史を学んでいましたが,繰り上げ卒業となって海軍に入り,特攻隊長として奄美諸島に赴任します。人情にあつい優しい隊長さんとして島民に慕われ,旧家の一人娘,後の島尾夫人ミホと恋仲になります。島尾は特攻隊として死ぬ定めの身であり,島尾が出撃するのを見送りながらミホも自殺する覚悟でした。ところがちょうど終戦となり,出撃命令は遂に来ません。島尾は本土へ帰還し,ミホは後を追い,二人は結婚します。
 すばらしいハッピーエンドになるべき話だと思うのですが,そうはなりません。一旦死の淵に立つ極限状態まで追い詰められて覚悟を決めた恋人同士が,あっさりと全てをご破算にされても,直ぐには平和な愛の家庭に戻れないものであるようです。一夜明けてみれば,頼りになる隊長さんは,生活能力のない青白い作家となり,しかも浮気が絶えません。旧家でお姫様のように育てられたミホも,奄美出身で差別され,貧窮と子育てと夫の浮気に苦しむ生活となります。ある日とうとう我慢の限界となったミホは惑乱し,家事と育児の一切を放棄し,浮気について夫を責め続け,家庭は地獄絵となります。精神を病んだミホと夫が病院に入るところで小説は終わります。
 ほぼ島尾夫妻の実体験をそのまま描いた私小説であるこの小説の背景を,梯の評伝は深く掘り下げていきます。本当に多くの発見がある労作で,私など素人にはとても全てを論じ尽くせませんが,「狂気に到るまで愛を貫いた,南洋の巫女の血を引く魅力的な女性」を描いた美しい物語とばかり評してはいられないようです。積年の蒙は啓かれたように思います。
 ただ今しみじみ思うのは,あの小説も,あの小説の元になった島尾夫妻の体験も,グローバル化とか国際交流ということの酷薄無残な歴史的現実,容赦の無い赤裸々な実態であったということです。このことはもっと多様に考察し,自ら学び,後世にも伝えるべきだと改めて思いました。

西田一豊氏の福永武彦研究

 昨日,平成29年4月29日(土)付『日経新聞』朝刊の文化欄に,「福永武彦 新たな一面」という大きな記事が掲載されました。「愛と孤独の作家 復刊相次ぐ」「先駆性や大衆性に光」と見出があり,一時は絶版ばかりで作品が手に入りにくい状態であった作家の福永武彦(1918-1979)への関心が高まり,研究も進んでいる様子を伝えています。御子息である作家の池澤夏樹氏の談話が掲載されているのは当然かと思いましたが,嬉しい驚きであったのは,最新の福永武彦研究について,千葉大学人文科学研究院特任研究員の西田一豊氏が専門家として取材を受けていることでした。我が大学院の修了生の方々が評価を受け,活躍されるのを目にするのは喜びに堪えません。
 若手研究者の皆さんがなかなか高等教育機関にポストを得られず,苦労しておられるのは大きな社会問題になっており,このままでは日本の学問研究の将来が危ぶまれるところです。西田さんたち若手研究者の皆さんが,その苦しい状況の中でも志を失わず,こつこつと研究を続けておられるのは,本当に頭が下がります。
 もうすぐ西田氏の研究成果がまとまるそうですが,それは個人的にとても関心があります。私自身が高校の頃から,茨木のり子と辻邦生と並び,福永武彦の愛読者だからです。新潮文庫の『加田伶太郎全集』も持っていて,今でも時々読み返します。講談社文庫の『夜の三部作』も持っていたのですが,友人に貸したまま戻って来ません。後者を読んだ直後に書いた当時の日記など,福永の文体を下手くそに真似てあり,読み返して我ながら恥ずかしかったものです。だからその日記はとっくに捨ててしまいました。
 あの時期,福永などを読んでいると(辻や茨木の場合もそうだし,他にも好きだった『更級日記』でも言われました),やれ「少女趣味」だの,「女子高生が読むもん」だのと悪罵を浴びたものです。このような発言をした人々も現在あちこちで教職についていますが,今でも女性の前であんなことを言ってるのでしょうか。器用に宗旨替えしたのでしょうか。したでしょうね。
 ささやかながらこういう経験をしているので,ますます西田さんの研究は心に染みるのです。ろくに力になれず申し訳ないのですが,西田さんのますますのご活躍を期待しています。
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