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「古典文庫」

 少し必要があって,天才と呼ばれながら若くして惜しまれつつ亡くなった19世紀ドイツの作家グラッベ Christian Dietrich Grabbe (1801 - 1836) の戯曲『ドン・フアンとファウスト』 "Don Juan und Faust" (1828) のことを調べておりましたら,2つのことでたいへん驚きました。
 第一には,この作品の1829年の初版本がPDF版となってドイツのバイエルン州立図書館によって公開されていることで,日本に居ながらにしてテクストのチェックが可能だということでした。
 第二には,1967年にこの作品が和訳されていたということでした。古い岩波文庫に意外な和訳を見つけるというのはしばしばあることですが,これは例の「古典文庫」でありました。

 私より上の世代であれば、現代思潮社の「古典文庫」のことを、特別の感慨を持って思い出される人が多いかと思います。現代思潮社は現在は現代思潮新社となっていますが,まだ「古典文庫」の一部は出版されているようです。
 レッシング『ハンブルク演劇論』,ブラント『阿呆船』、グリンメルスハウゼン『クラーシェ』,ミシュレ『魔女』,ヴァレリー『テスト氏』,ネルヴァル『幻視者』…澁澤龍彦がリストを作ったのだそうですね。とても採算がとれるとは思えないラインナップですが,ヨーロッパ文学史を深く考えるのに貴重なものばかりです。一度でもこうして出版しておいてもらえれば,図書館ででも古本ででも何とか再び利用できる可能性は広がります。これらの書物にそういう可能性が残されたことが,どれだけ貴重であるか。
 文学も外国語も役に立たない,即戦力に結びつかないので,疎まれ,蔑まれ,迫害され,放置され,もう枯渇してしまいました。これだけの翻訳をリストアップできる人材も,それに応えて現実に翻訳を行える人材も,それを読みこなせる人材も,誤訳やより良い訳を提案できる人材ももうすぐ伝説の中にしか残らなくなります。お気づきにならないかも知れませんが,あって当たり前だと思っていた人文学の基礎的書物や知識そのものが音立てて毎日消滅し,誰にも分からなくなりつつあります。これらはロストテクノロジーなのです。

 まだ何か出来ることがあれば,と切に思います。