So-net無料ブログ作成

日本的空白

 梅崎春生の随筆集『悪酒の時代 猫のことなど』が講談社文芸文庫に入りました。年長の友人の作家さんが,『馬のあくび』など梅崎の随筆ほど面白いものはないと思ってずっと読み返してきた,と仰るので,恥ずかしながら「桜島」くらいしか読んだことがなかったので,随筆を手に取ってみました。
 なるほど,面白かった。でもこの飄逸たる味わいの妙は,残念ながらそのままではもう学生たちに分かって貰えないようです。しかし不安をかき立ててやまない時代の流れを思うと,戦後派と呼ばれた作家たちの作品を,もっと読み込むべきかと思います。梅崎の「日本的空白について」だけでも,熟読玩味に足るものと感じました。

学修支援研究会

 本年度後期から「学修支援研究会」を始め,年内に6回の会合を持つことが出来ました。院生と助教など若手研究者を中心に,毎回活発な議論を続けています。
 教員と職員の中間にあって,学生の学修支援を担当する専門職の養成が強く求められています。学際性が進む中での履修プランや専門選択,キャリアパスとインターンシップ,ボランティア活動,留学と海外での学位取得,メンタルな悩みなど,学問研究の内容と並んで,学生は多くの難しい新たな課題に直面し,助言と援助を必要としています。個々の教員の経験・能力・時間的余裕で対応出来る範囲を遙かに超えています。多くの点では,専門的な対応でなければ危険ですらあります。しかしまだ,こういう課題に応えられる学修支援専門職員の数は不足しています。
 千葉大学では,学修支援専門職を養成・配置する取り組みを進めています。本研究科でも学修支援の素養を身に付けた有用な人材が育って欲しいので,学内の教育GPの予算を受け,この研究会を始めた次第です。
 何分にもまだ小さな研究会ですので,学修支援の全ての分野を網羅することは出来ませんが,人文社会科学系で最も求められる学修支援の分野を,言語教育―ライティングやプレゼンテーション指導にあると考え,そのための議論と研究を行っています。言葉のスキルの問題だけでなく,思想史との関連と文化受容,批判精神や批判的知性の育成,大学教育の在り方とつながるような言語教育の基礎を作りたいと思っています。現代日本の高等教育政策の現状と学修支援養成との関わりから始まり,そもそもコメントカードを教師はどういう意図で配っているのかという疑問に至るまで,毎回議論は尽きません。
 本年度末にはこの研究会の議論を元に,大学における言語表現の教科書を作り,来年度はそれを元に学部学生用と院生用の授業を展開する予定です。私がここ10年細々と作り溜めて使っていた教材を叩き台に議論して貰ったら,若い院生達からぼろくそに言われ,楽しくずたずたにされています。きっと良い物が出来ますから,皆さんにご紹介できるのが楽しみです。
 私の年来の夢で,弁論術や修辞学を,アリストテレスやイソクラテスやキケロやクインティリアヌスだけでなく,中国古典の修辞学とも結びつけて,現代に生きる教養と学修指導の素養にしたいと思っています。次の会合でそういう発表をさせてもらうのを,楽しみにしています。
 小さな取り組みですが,夢ばかり大きくもっています。年甲斐もなく。昔を思い出して。お時間あれば,どうぞ皆さんもおいで下さい。

主の御降誕おめでとうございます

メリークリスマス。フローエヴァイナハテン。ジョワイヨノエル。まだまだ仕事は終わりませんが、ともかくもひとときの安息を!

IMG_0573s.gif

仏典漢訳

 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』を大変興味深く読んでいます。特に驚いたのは,南宋の志盤『仏祖統紀』第四十三巻など,当時の分業による翻訳作業についての詳しい史料が残っている,ということです。
 サンスクリット語のテクストを朗詠する,その正確さをチェックする,漢字で音写する(陀羅尼ですね),単語毎にサンスクリット語を漢語に移していく,語の順序を入れ替えて漢文らしくする(動詞=能と目的語=所の位置が,梵語と漢文で異なるので!),漢文として調整し,ブラッシュアップする…
 こんな史料,ギリシャ語からラテン語への翻訳にも,ラテン語からヴァナキュラー語への翻訳にも,残っていないはずです。オトフリートの古高ドイツ語の「序文」が,翻訳行為に関する史料としては最良のものと信じてきましたから。
 単語毎に訳してから,意味の通るように並べ替えるだなんて,じたばたしながら苦手な第2外国語の訳読を発表させられている学生そのものじゃありませんか!あの学生達の哀れな様子は,もしかしたら人類が営々として行ってきた翻訳行為の本質に関わるもの,原風景だったのかもしれません!
 先生が悪かった。あなたたちから、もっと学ぶことがあったようです。

仏典漢訳その2

 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか』で,更に興味深いエピソードを知りましたので,ここに紹介いたします。
 『高僧伝』によれば,中国に布教に来たインド人の僧グナバドラ(求那跋陀羅)は,王様から教典の講義を頼まれたが,中国語がまだ出来なかったのでうまくいかない。そこで:

 
朝な夕なに礼拝懺悔して観世音に不思議な感応のあらんことを祈願していたところ,ある男が白い衣装を着け刀剣を手に持ち,一人の男の頭を携えてその前にやって来て,「どうして心配しているのか」と言う夢を見た。跋陀がつぶさに事情を話すと,「そんなに心配することはない」と答え,すぐさま刀剣で頭をすげ替えてあらたに新しい頭をのせた。ぐるぐると回転させるように告げ,「痛くはないか」と言い,「痛くない」と答えたところでからりと夢から覚め,うきうきとした気分になった。朝になり,起きて主旨を口に出すと,すべて完全に中国語の意味を尽くし,そこで講義を開始した。


 これもまた外国語の習得に悩む現代の学生そのものの姿でありますが,さすがに観世音が現れて自ら首をすげ替えて下さり,しかも「痛くないか」とまで気遣って下さるのは,大徳の高僧が祈るからで,学生諸君にはなかなかこういう不思議は起こらないでしょう。私自身が外国語については学生時代から今日に至るまで朝な夕なに神頼みをする身ですから,事情はよく分かります。
 私たちのこの哀れな姿は,諸君,人類の翻訳文化史の王道に連なるものでありました。励まし合って,これからも一緒に頑張りましょう。いや,神頼みだけじゃなくて。来年も外国語講読の自主ゼミをまたやりますから,来て下さいね。

悦ちゃん

 12月28日付「朝日新聞」の文化・文芸欄に,「今こそ獅子文六」という記事があり,「前衛的に,シニカルに。戦犯文士と目された希代のユーモリストは,反骨を貫いた」という見出を読むと,感慨深いものがありました。
 昔話で恐縮ですが,私ぐらいの世代だといたって平凡な流れで,小学生も中程からポプラ社の南洋一郎版「ルパン」,山中峯太郎版「ホームズ」,それに江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを卒業してから耽読したのが,偕成社のジュニア版日本文学名作選でした。ここに収められていた夏目漱石『猫』と井上靖『天平の甍』と並んで,獅子文六『悦ちゃん』がお気に入りで,何回も読み返したものでした。大学に入ってから一度田舎の図書館に寄付してしまった(当時はまだこういう寄贈を喜んで受け入れてくれたものでした)赤い装丁の本がどうしてもまた手に取りたくて,大人になって古書で買い直しました。

IMG_0576.JPG

この茜色のカバー自体にもうわくわくしたものですが,カバーを取った紫色の表紙は以前は布製で,それも好きでした。

IMG_0577.JPG

ついでに申せば,文豪達の印をあしらった見返しも好きでした。

IMG_0579.JPG

 何分にも遅れてきたファンだったので,全集を始め,獅子文六の作品と関連の書物は古書で集めた次第です。それがぼつぼつ復刊されていて,今の若い読者にも好評だというので,うれしく思います。
 随分映画化されたそうですが,これらの多くはまだ観るチャンスがなく,これはとても残念です。
 映画「悦ちゃん」の主演を務めた江島瑠美さんはまだご存命のようですが,「悦ちゃん」という名前を思い付く手掛かりになったという,日本女子フィギュアスケートの先駆者稲田悦子さんは2003年に亡くなり,「悦ちゃん」のモデルになった獅子文六の長女伊達巴絵さんも2009年に亡くなったそうです。