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ダンバー数

 もっと短時間で書き上げる予定だった原稿が長引いてしまって,夏休みに読もうと楽しみにしていた本に手が付けられないでいます。計画自体が無茶だったんだと院生に言われるのは,年中行事です。
 今年6月に出版された,ロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』もその一冊です。ダンバーの『ことばの起源』には大いに刺激を受け,私が行う言語史や言語コミュニケーションの授業は,ダンバーの学説を下敷きにしています。霊長類の生態を直接研究して「社会脳仮説」や「ダンバー数」を検証することは私には出来ませんが,私の知る言語現象はどれも,ダンバーの理論を使って見事に説明することが出来るようです。
 ダンバーの著書に教えられることがなければ,私は言語コミュニケーション論やリテラシー教育にまで手を広げることはとても出来なかったと思います。
 言語コミュニケーションにおいて,情報伝達をつかさどる「認知機能」よりも,共同体の結束強化と維持をつかさどる「規範機能」の方が根源的なのだという認識は,学生達の英知の窓が開いていくためにも大いに有益であるようです。これに更に,ビューラーのオルガノン・モデルとバーンステインの言語コード理論で補強します。
 ビューラーもバーンステインも、人によってはもう古色蒼然たるものだとあざ笑うかも知れませんが,私にとっては繰り返し立ち返ることのできる安定した基礎を与えてくれます。新しいものを使い捨てにするよりは,汲み尽くせない古典の意味を何時までも探るのが好みです。
 だから,時間がないとか言いながら,ヘレン・マクロイのミステリーの訳が出たとなると直ぐに飛び付いたりしています。同情の余地はありませんか。

『大学生のためのプレゼンテーション基礎』

 ライティングに続いて,プレゼンテーションの教科書がようやくできました。HPに公開していますので,ご自由にお使いください。

http://www.adjustbook.com/doc/Index/show/us/7520/bk/11939#/p1/

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ベエトホフェンの第九スィンフォニイ

 8月末に亡父三回忌の法要のため帰省したところ,狭い家なのにまだ発見があり,戦災で焼失したと聞かされていた一族の古いアルバムが一山出てきました。大正末から昭和初期の頃のものです。曾祖父の顔など初めて見た次第です。しかも勢力に溢れた男盛りの頃の。何より驚いたのは,父達兄弟を産んだ後,戦前に亡くなった最初の祖母の個人アルバムが出てきたことでした。
 狷介で傲岸だった祖父が,学生服姿でへらへらとしてポーズを取り,テニスだビリヤードだ麻雀だと遊びまくり,極めつけは,ブロマイド然とハート型に焼き付けた写真に収まって照れ笑いをしていたことです。ハート型!!切り抜いたものではなく,確かにハート型に焼き付けられているので,頼めば写真屋がやってくれたのでしょう。家長としての責務などに圧倒されず,このまま生きていてくれればどれだけ良かったことか。
 最初の祖母の顔も初めて見ました。女学校を卒業した後,東京高等音楽学院(今の国立音大)で声楽を学んだ人で,赤ん坊だった父達にベルカント唱法で子守唄を歌っていたと聞かされたことがあります。いかにも周囲の愛情を一身に受けて育った若い女性が,弾けんばかりに生き生きと写っておりました。女学校の同窓の方々,その子孫の方々にとっても貴重な史料かと思うのですが,若くて我が儘だった祖母が集合写真の中の何人かのクラスメートの顔に,バツ印を付けて消しているため(仲の悪かった相手なんでしょうねえ),残念ながら他人にお見せすることが出来ません。

 祖母のアルバムの中に,「ベエトホフェンの第九スィンフォニイ」と手書きの説明がある舞台写真がありました。どうも昭和3年,新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と東京高等音楽学院学生の合唱団による,ベートーベンの第9交響曲の演奏会の写真のようです。プロの楽団による第9の日本初演だったそうです。写真が小さくて確認できないのですが,祖母がこれに乗ったのだとしたら,名誉なことです。

 けれども孫が感心したのは,それ以上に「スィンフォニイ」という表記です。考えてみれば,第9どころか,そもそも交響曲というものがそんなに広く受容されていない時代です。「交響曲」という訳語すら定着していなかったのではないでしょうか。(森鷗外が作った訳語だと聞いたことがあります)
 祖母のメモは,yの転写が「イ」になっているという字面から推測するに,英語経由でsymphonyという概念を教わったらしい。しかも正確に,歯擦音[sin-]であって,反舌音[ʃin-]ではないと聞き取っていた様子です。
 回りまわって言語学を選んだ孫は,こんなことに注目しているわけです。

 昔の話でも何でもない。伊達者で遊び人の祖父も,その祖父に「篭絡」された世間知らずのお嬢様の祖母も,すぐそこにいる隣人です。

 戦前の音楽学校の話が聞きたかったな,おばあちゃん。死んだ父も,ずっとそう思ってたみたいだよ。

白い彼岸花

 文学部棟の東のはずれに,毎年この時期になると白い彼岸花が咲きます。白や橙色の彼岸花というのは珍しいものではないそうなのですが,私はここで初めて目の当たりにしました。

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 台風の影響が去りきらない曇り空なので,死の国へつながるという彼岸花の不気味さがかえって出るような写真になりましたかしら。

 細見綾子はよほど気になったのか,白い彼岸花にちょっとしたこだわりを見せています。

 何故に在るのか白の曼珠沙華 細見綾子
 白曼珠沙華薬用に阿波人は 細見綾子

 後藤夜半も彼岸花をよく詠んでいますが,うちの狭い庭に,家族のだれも植えた覚えのない赤い彼岸花が毎年ひっそりと律儀に咲くのを見ていると,軽い賛嘆と,愛着の念が沸きます。

 だしぬけに咲かねばならぬ曼珠沙華 後藤夜半
 たがへずに曼珠沙華咲き草の庵 後藤夜半

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 けれどもやはり死人の花,このような淡い付き合いが良いのかもしれません。

 かへり観れば行けよ行けよと曼珠沙華 中村草田男

ヨコハマ・ジャパニーズ

 この分野の研究史のことはよく分からないのですが,幕末から明治にかけて横浜で行われていたピジン・ジャパニーズを取り上げた日本史家の服部之総(1901-1956)が,日本語ないし日本語史に社会言語学的な関心でアプローチしようとした最初の世代ではなかったでしょうか。岩波文庫の『黒船前後・志士と経済』に収められた「Moods cashey」は,このテーマを紹介した軽妙洒脱な歴史エッセイながら,侮れない先駆的問題提起をしています。

 話は少しそれますが,これほど上手で楽しい歴史エッセイはなかなかなく,狩野亨吉(1865-1942)と並んで愛読しています。同じようなファンが多いのか,両者の作品とも今となっては「青空文庫」で読めます。

服部之総「Moods cashey」:http://www.aozora.gr.jp/cards/001263/files/50373_40161.html

狩野亨吉「安藤昌益」:http://www.aozora.gr.jp/cards/000866/files/2653_20666.html

 開国当時,ビジネスのための日本語が必要となって,日本語会話の手引きや日本語入門書が直ぐに出版されたらしい。その内容が傑作で,

Hat=Caberra mono(冠り物)
Immediately=Todie mar(ただいま)
Tailor=Start here(仕立屋)
Loafer=Fooratchi-no-yats(不埒ふらちな奴)
A “bad hat”=Berrobo-yaru(べらぼう野郎)
Colour=Eel oh(色)

実用本位だから,なじみやすい似たような発音の語で示してあります。当時の口語日本語も透けて見えてくる結構な史料になっています。
 もっと面白いのは会話編で、

「余の商品の値段を一言にして請求するのみ、これ余の家憲なり」(私の店にかぎってお値段のかけひきはございません)=Kono house stoats neigh dan backhary hanash.(この ハウス 1つ 値段 ばかり 話す)
「日本帝国政府の紙幣の価値暴露せるをもって、余の協同経営者久しく不在なる間、汝の善言に従うことを得ざるなり」=Kinsatz yah dai oh, dora your a shee.(金札,やだよ,ドル,よろしい)

なりふり構わず,これで通じていたらしい。商売の根本は洋の東西を問わずに同じであるから,あとは実践と信用で立派に仕事が成り立ったのでしょう。恐らく,マルコ・ポーロやコロンブス一行も,基本はこのような言葉で商売を成り立たせていたようです。
 ヨコハマ・ジャパニーズは,コミュニケーション論や歴史言語学の授業で,最初に必ず紹介するエピソードです。

 ちなみに,服部之総がこれらの楽しい例を引いてきた「パスク・スミス氏の『日本および台湾の西夷』」というのは,Paske-Smith, Montague Bentley Talbot: Western barbarians in Japan and Formosa in Tokugawa days, 1603-1868 (1930, Kobe)のことです。明治末年にイギリスの駐日公使だったパスケ=スミス(1886-1946)のこの明治維新史の大著について,服部之総は『思想』1931年6月号に書評を書いていて,ヨコハマ・ジャパニーズに関するこの「Moods cashey」という小文はその副産物として成立したもののようです。
 私は未見ですが,この書は今でも英語圏のアマゾンだと手に入るようです。

 またパスケ=スミスがさらに史料としたであろう代表的なその当時の日本語入門書が Atkinson, Hoffman / Bishop of Homoco (pseud.): Revised and enlarged edition of exercises in the Yokohama dialect (1879, Yokohama) です。この本は今でも手に入りますし,無料で閲覧可能です。

 https://archive.org/details/revisedenlargede00atki

 30ページほどの短いものですが,捧腹絶倒の興味深い例文満載ですので,オリジナル史料の面白さをどうぞ味わってください。
 著者については小玉敏子『Exercises in the Yokohama Dialect再考』(『英学史研究』32号,1~11頁,2000年)があります。これも無料で閲覧可能です。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/2000/32/2000_32_1/_article

2016年秋季修了式

 本日2016年9月28日(水),千葉大学大学院秋季修了式と同人文社会科学研究科学位記伝達式が行われました。修了生の皆さん,おめでとうございます。
 千葉大学大学院人文社会科学研究科はどんなところだといって,教員の業績や,設備なども大切ですが,何よりも修了生の皆さんの実績と活躍こそが本研究科の本質であり,実体であると思います。修了生の皆さん,本研究科を選んで進学し,後輩のために優れた業績を残して下さってありがとうございました。これからはその学識を現実社会に活かし,一層のご活躍をなさることを楽しみにしております。

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