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「プロメーテウスは解放されてよかったのか」

 『学士会報』はいつも興味深い記事ばかりで,『リポート笠間』などと並んで毎号楽しみにしているのですが,先日届いた『学士会報』921号が特に読みごたえがありました。久保正彰「プロメーテウスは解放されてよかったのか」,原實「異文化の理解 ― 古代インドの場合」,野家啓一「人文学のための弁明」と並び,昨今の人文科学への逆風に心を痛めた大家の皆さんが悩める後輩のために論陣を張ってくださった感がありました。
 「トランス・サイエンスの時代には,科学知はそれだけで自己完結することも自立することもできず,たえず人文知の支えを必要とする。その意味では,文科省の思惑に反して,人文学はまさに『社会的要請の高い分野』にほかならないのである。」という科学哲学の野家氏の言葉や,「『食べられる物』と『食べられない物』という唯一の基準を基として,もし植木屋が庭園を見るならば,彼はあたら美しい花も,香りのよい花も切ってしまうであろう。人生を観る視点は多ければ多いほどよいので,『視点の多様化』は人生をより豊かなものにする所以であった。」というインド古典学の原氏の言葉などにはとても励まされました。
 そして何より,その昔恐ろしく出来の悪い学生として久保先生にラテン語もギリシャ語も教わった身として,久保先生のアイスキュロスのお話は特に身に染みたのでした。
 プロメーテウスが人間にもたらしたのはいったい何だったのか,何がゼウスの怒りに触れたのか(この劇中にゼウスは一度も現れません),淡々と読み解かれ,推測されていきます。
 
彼ら(人間)はもともと,何かを見ても,ただいたずらに見るばかり,聞いてもさとるわけでなく,さながら夢の世界の幻のよう,命の限りを,ゆきあたりばったりにすごしていった…(呉茂一訳)

 οἳ πρῶτα μὲν βλέποντες ἔβλεπον μάτην,
 κλύοντες οὐκ ἤκουον, ἀλλ' ὀνειράτων
 ἀλίγκιοι μορφαῖσι τὸν μακρὸν βίον
 ἔφυρον εἰκῇ πάντα, (447ff.)

 こういう人間どもを見かねてプロメーテウスが与えたのは何であったのか。「火」に象徴して伝えられているものの内実は何であったか。

一言にして言えば,なにもかもひとまとめにして,  人間の持つ技術(テクネー)はすべてプロメーテウスの贈物だと思ったがいい。

 βραχεῖ δὲ μύθῳ πάντα συλλήβδην μάθε,
πᾶσαι τέχναι βροτοῖσιν ἐκ Προμηθέως.(505f.)
目の見えぬ,盲な希望を与えたのだ。

 τυφλὰς ἐν αὐτοῖς ἐλπίδας κατῴκισα. (250)

 運命を予見できない「盲の希望」と,扱いを間違えば己を滅ぼす「技術」を与えたのだというのです。「火」を与えたとはそういうことであったと,アイスキュロスは言いたいらしい。
 それが人間にとって決して幸福にならないと断じて,ゼウスは激怒したのでしょう。プロメーテウスも譲らず,決して非を認めません。しかし東日本大震災における天災人災のすさまじさを経験した私たちは,もう単純に人間の恩人プロメーテウスの肩をもって,ゼウスの横暴を憎むばかりではいられません。
 けれどもこの神々の確執にただ一人人間として登場する,「狂女イーオー」が,人間のとるべき道を暗示しています。イーオーこそ,「盲の希望」にも「技術」にもおぼれず、プロメーテウスによって意識が覚醒し,一身に課せられた運命をけなげにたどり,長い長い彷徨の果てに狂える牛の姿から人間の姿に戻り,ついにプロメーテウスを解放することになるヘラクレスの祖となるのです。自分の分を知り,それにふさわしい人間になる,その意識こそが,実はプロメーテウスからの最大の贈物ではなかったか。

 「希望」と「技術」を暴走させないための「意識」を,かけがえのない人文知を,与えられた部署で精一杯守ろうと思います。――教室の片隅で落伍していた学生も,おかげさまでここまで何とか読めるようになりました。

人文公共学府設置準備委員会

 昨日,来年度から発足する私共の「人文公共学府」のための第1回「設置準備委員会」が開催されました。関連する6部局から部局長と選出された教授とで構成し,新組織の教授会が正式に動き出すまで,この「設置準備委員会」が教授会の代わりに新組織設立・運営のための諸事を審議決定します。お忙しい部局長の皆さんにずらりとお集まりいただき,恐縮した次第です。具体的な案は私共現場の者が用意しますが,委員の皆さんには手続きの監督と,大所高所からのご意見をいただきます。早速有益な確認やご意見をいただきました。いよいよ新組織が具体化しましたので,ご報告いたします。(重々しい会議の様子を画像でご紹介できればよかったのですが,さすがにそれはちょっと…)

雑草のように,木の根のように

 「大学のリアル――人文学と軍産学共同のゆくえ」という特集を組んで評判になっている『現代思想』11月号をようやく手に取りましたが,力の籠った重苦しい力作論考ばかりで,おいそれと斜め読みして論評などとうていできません。それでなくてもうちのような弱小な一部局から,あがいてみたところで何ができるだろうかと暗澹たる気持ちになります。
 そんなことばかり考えていて,どうやらうつむいて部屋にこもりすぎたようです。学生さんに教えられて,ふと気が付くと,紅葉の美しい季節になったのに,キャンパスをろくに眺めることもしていませんでした。

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 けれどもついいつもの癖で肩を落とし,うつむいてつかの間の散策をしておりますと,そういう性根の者には性根の者なりに,見つけるものがありました。
 予算削減の折から,自慢の広々としたキャンパスの植物に手入れが行き届かず,かえって野趣にあふれます。今が満開のセイタカアワダチソウの群落などは結構な見ものですが,見るだけでくしゃみが止まらなくなる人もおられようから,画像は自粛いたします。
 文学部法政経学部の中庭の溝にいつしか生えてきた名も知らぬ草などは,人の目を盗んでぐんぐん成長し,灌木並みの貫禄になっています。(どうかこの不用意なブログのせいで,施設担当の方がこの子の成敗を思いついたりしませんように!)

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 大学院棟横の赤れんがゾーンの名物は,四季折々の花壇の花々と並んで,赤レンガを破砕して止まない木々の根の雄渾な暴れようでありましょう。

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人も動物もめったに入れず,日の光がさすこともまれな人社研棟中庭にも,それ,この通り。

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 地べたを這い,人の目を盗んで物陰でこっそり繁茂し,意外な太さ,侮れぬ力強さに育ってみせるのも,人文学のありようではあるまいかと,自分がやってきたことはこんなことだろうなと,妙な教えを受けたような気持ちでありました。
 何時までも図書館の裏側の植え込みがきれいにならないから,図書館長への面当てに,一つアメリカを席巻して悪評高いクズでもこっそり植えてやろうかしらなどと,質の悪い妄想ににやりとしたり致します。
 晩秋の晴れ渡った一日,ほんの一時の散歩で得た雑感と世迷言でありました。

大学院共通基礎教育のために - 高い倫理性と公共性のために

 千葉大学では、第3期中期計画において、大学院における教養教育の構築を目指しています。

 「大学院課程教育における高度な教養教育の方針を、イノベーションとグローバル化の観点より策定、明確化し、高度教養教育を実施する。」

そのための全学的組織も着々と整備されているところです。

 「国際未来教育基幹キャビネット全学教育センターにおいて、大学院共通教育を含む高度教養教育の提供体制を形成するための検討を行う。」

 しっかりした倫理や高い人間性や公共性,深い教養を広く扱うというなら,本研究科のような専門領域を持つ部局の責務は当然大きいと思います。来年度から設置される「人文公共学府」にも,「大学院共通基礎教育センター(仮称)」というようなものを作って,一部局内だけでなく,全学へ向けての責務を果たせる体制を整えておきたいと思っています。まことに小さな部局ですが,志だけは清く高く持ちたいと存じます。

 リベラルアーツの基本は「三学四科」ですが,「四科」(音楽・算術・幾何・天文)の現代的意義が芸術に対する素養と理解・実用的科学知識と科学的精神の涵養であり,この重要性はすぐに共通理解が得られるところですし,良い授業もたくさんあります。しかるに「三学」(文法学・修辞学・論理学)については,コミュニケーションにおける言葉の文法的正確さと論理的正確さに併せて、公共性や民主主義精神を支える現代的「修辞学」の必要性がなかなか理解されません。これについては及ばずながら,私どもの部局でこの2年間地道に努力し,ライティングとプレゼンテーションの教科書開発と授業実践を積み重ねてきました。この先も本研究科で大学院基礎教育に関して寄与できる最も大きな分野として,研究教育を続けていくつもりです。

 もう一つ大学院共通教育の構造を考えるための軸が存在します。
 もともと普通の大学なら,人文社会科学の基礎科目の中には,ラテン語・古代ギリシャ語・サンスクリット語・漢文が必ずセットで開講されていたものでした。実はこの地味な古典語の授業群こそ,現代的な大学院基礎教育のしっかりしたヴィジョンを示します。
 ラテン・ギリシャは言わずと知れた西欧的教養の基礎です。漢文は中国・東アジアの広大な教養を司ります。サンスクリットの教養世界が,インドを中心にした地域においてこの東西の教養を媒介します。狭く西欧的教養に閉じこもらず,東アジアの中ですら孤立するような方向にも走らず,壮大な視野と構想で東西の融合を目指すことこそ,日本において成熟発展を遂げた大学の一般教養の輝かしいありかたであり,ともすると袋小路に入りかねないグローバル化を救う,グローバル化の真実のありかたではないかと思います。

 これらをもう一度本学において実現する用意は,私どもの小さな部局において整いつつあります。高い倫理性と公共性と教養のために,微力ながら全力を尽くす所存です。

2度目のアドヴェント

 今年は11月27日(日)からアドヴェント(待降節)が始まるのだそうです。この役職に就いてから2度目の,そうして最後のアドヴェントになります。

 ミッションであった改組は何とか実現しそうなものの,新しい組織を設置し,その運用細目を定めていくのは大変なことで,私などは右往左往するばかりです。有能な同僚と事務の皆様に助けられて何とか生き延びていますーーーと書いたところで,来年1月初旬には確定が必要な事項のリストが,学務関係だけで17項目あるというメールが届き,私などには到底こなせるものではないと悲嘆に暮れてしまいました。

 クリスマスマーケットにぱあーっと繰り出したいところを我慢し,かわりばえもしませんが,せめて,アドヴェントの飾りつけで気持ちを盛り上げます。

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 これも毎年のことですが,安物を急いでそろえたので,飾りつけを手伝ってくれた学生の皆さんの手や顔にラメが付くのが申し訳ない。しかし誰かが置いて行ったままのキツネの面をツリーに飾り付けた人は誰ですか。
 アドヴェントが始まると教会歴の上ではもう新年です。

 Gloria in excelsis Deo, et pax hominibus bonae volutatis !

河島思朗『ラテン語練習プリント』

 うれしい献本を頂きました。ありがとうございました。

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 ラテン語文法を簡単にまとめて,かつ練習問題を,練習用に作った簡単なラテン語ではなく,「本物の」文例を使う入門書が欲しいと思っていたところでした。語学の教科書というのは,説明よりも,練習問題を作る方が数段難しいものです。志だけはあって,私もラテン語の金言名句などぼちぼち集めてはいたのですが,なかなか捗りません。アヴェマリアも欲しい,ガウデアームスも入れたい,カトゥルスは絶対に,などと目算を立てていたら,この教科書が一歩も二歩も先んじて理想的なチョイスを実現しています!(写真が下手で申し訳ありません)

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 お気に召さない方もいらっしゃるかも知れませんが,「教養としてのラテン語」というものに関して,これは一つの見識だと思います。1980年代くらいから英独仏語などで書かれたこういうスタイルの入門書をよく目にするようになりましたが,ようやく日本の古典語教育も成熟してきたのかと思います。早速学生に紹介しています。