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ドイツからの贈物

 年末年始に忙しかったからといって,ドイツの旧友が律儀に今頃クリスマスの贈物を届けてくれました。

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 友人はカールスルーエで教員をしていますが,実家がホーエンローエ(フランケン地方とシュヴァーベン地方に挟まれた小さな地域)にあります。昔は家族ぐるみでお世話になったものですが,もう向こうの御両親も亡くなり,誰も住まなくなって,今は週末のたびに友人が様子を見に行っているらしい。
 その実家の庭でとれたマルメロをジャムにして一瓶送ってくれました。器用な人で,このラベルも手作りなのです。

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 またホーエンローエのランゲンブルクにある老舗のカフェ・バウアーが作る,伝統的なクリスマス菓子レープクーヘンも送ってくれました。

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 今はもうクリスマスマーケットでしかこういう昔ながらの形状のものは見かけません。祝い菓子ですから景気よくCDくらいも大きく分厚いもので,香料が飛び切り効いています。日本の学生に切ってやっても,匂いに負けて食べられなかったものです。

 亡くなった彼のお母さんの一家はチェコのズデーテン地方の出身で,大戦後故郷を失ってドイツに戻ってきたのだそうです。たまたま懐かしいお菓子を見つけたからと言って,カールスバート(今はチェコのカルロヴィヴァリ)名物オブラートというものを食べさせてくれたことも懐かしく思い出します。ワッフルの原型になったと言われているものです。珍しいので喜んでかぶりついて,しかしなんとも反応に困った私たちの様子を面白そうに眺めながら,あんまりおいしいものじゃないのよと言った顔をまだはっきりと覚えています。確かにびっくりするほどおいしいものではありませんでした。

 つらく苦しい難民や移民の歴史を静かに乗り越え,ひっそりと暮らす人々に温かく接してもらえたのが,留学最大の実りでありました。まだまだ昔話を聞いておきたかったのですが,こちらも遠く離れた日本で忙しいときに,不意に訃報を受け取ることになりました。残念でなりません。頂いたものを少しでも受け継ぎ,次の代に伝えます。

『昭和天皇実録』

 昭和天皇の公式の伝記『昭和天皇実録』全60巻(別巻1)が,宮内庁により24年5か月の歳月をかけて完成したのが2014年8月21日,原本(和綴じ本)は天皇に献上され,翌9月9日~11月30日にその「写し」が一般に公開されました。『大正天皇実録』の場合と違い,いわゆる「墨塗り」なしです。
 これを18冊(索引1冊)にまとめた公刊本が,東京書籍から,2015年3月27日より5か年計画で出版されています。3月と9月に2~3冊ずつ出版していく予定で,2016年9月に第9巻まで出版されています。ここで昭和20年までが記録され,ちょうど半分になります。

 未公開の資料をふんだんに利用した記録なので,資料的価値はとても高いようです。政治史の問題だけではありません。公刊本が刊行され始めてすぐに話題になったのは,昭和天皇が子供の頃に遊んだ「クロックノール」というゲームのことです。

 http://remi-piatek.com/archives/4639

 24年かけて100人以上の職員が資料を調べ,聞き取り調査をして書き上げた記録ですが,とうとうこのゲームの正体が分からなかったそうです。明治末から大正初めにかけて流行ったゲームです。もう日本では忘れられているのです。これが公開すると同時に,ネットで簡単に判明しました。いわゆる「オタク」と呼ばれる,これまで周縁的な扱いを受けてきた諸文化現象を愛好し,大切にし,該博な知識を誇る人々が情報を惜しげもなくさらすネット時代ならではの事件でした。
 クロキノール (Crokinole)というゲームで,今でも世界大会があるほど海外では愛好され続けているゲームだそうです。上のリンク先に動画も上がっているのでご覧ください。
 『昭和天皇実録』は,文化史・世相史の史料としても価値が高いようです。

 『昭和天皇実録』には大変関心があるのですが,読みこなす時間も力もないので二の足を踏んでいたら,先日,山田朗『昭和天皇の戦争 「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(岩波書店)が刊行されたので,喜んで読ませてもらいました。
 例えば,「御前会議」というのが戦前の歴史,特に戦争に関して大変重要な意味を持っていますが,公式の大切な会議であるから,議事録はともかく,開催日時・場所・参加者などはてっきりとっくに公表されているものと私などは信じておりました。これが全く素人の勘違いで,このたびの『昭和天皇実録』によってはじめて確定されたのだそうです。
 こういう初歩的なことから初め,種々の他の史料と突き合わせ,どこが新しく学ぶべきところなのか指南してくれる書物を探していたので,ありがたいことでした。

 無知蒙昧な専門外の身ですが,今も天皇制の下に暮らす者として,少しずつでも勉強は続けたいと思います。

モンスターの系譜

 ドン・フアンと並んで,ドン・キホーテ,ファウスト,ハムレットが近代文学でよく取り上げられる4大「神話」ですが,近代文学だけでなく,現代のポップカルチャーに到るまで延々と強い影響を及ぼし続けている別の「神話」系列があります。怪物,化け物の系譜で,フランケンシュタイン,ドラキュラ,狼男の3大モンスターがこれにあたります。無知蒙昧な迷信か子供だましの怪談の類だと仰るのも分かりますが,それを言うなら,よみがえった死者が食事の招待に応じるというドン・フアンも,悪魔と取引して若返るというファウストも,親父の亡霊と出会うハムレットも,碌な話ではない事になります。
 民話や「神話」における荒唐無稽なお話しにも,必ずや何らかの人間的真実が根底にあるものです。繰り返しフィクションの素材になるのも,何度でも反省し,汲み取りたい深い意味がそこにあるからでしょう。
 そういうことを洞察し,認識し,言葉にし,今と未来を生きる人間のための糧にしようとするのも,学問の(特に人文科学の)大事な使命だと思うから,学部1年生最初の導入授業で3大モンスターについてよく取り上げてきました。

 科学技術の発展に酔いしれ,神になろうとし,「人間」を作り出し,命をもてあそび,挙げ句の果てに亡びていくフランケンシュタインの話は,一番取っつきやすいところです。意外に知られていないことですが,フランケンシュタインというのはあのモンスターの名前ではありません。あのモンスターを作り出して破滅した科学者、若き「助手」のフランケンシュタイン博士の名前です。あの可哀相なモンスターにはとうとう最後まで名前すら与えられていません。「フランケンシュタインの化け物」のまま不幸な生涯を終わるのです。このこと自体,学生の多くにとって初耳だったりします。
 アウシュヴィッツの「死の天使」,ユダヤ人の双子の子供に無意味な生体実験を繰り返して殺害したメンゲレ博士にまで物語は一直線に結びつきます。他にもこのような科学者は沢山おります。
 しかし他方で,手塚治虫の『鉄腕アトム』の第1話「アトム誕生」を見れば,アトムが元々「フランケンシュタインの怪物」と同じ不幸を背負って生まれてきた子なのだということがよく分かります。
 不幸な恋愛と結婚に深く傷つき,生命に対する責任の問題に深く思いを致した作者のメアリー・シェリーの気持ちが伝わってくるように私などは思います。

 元々は「大口の真神(おおぐちのまかみ)」と呼んで,山の守り神として崇めた狼を,ただの害獣として絶滅にまで追い込んでいく人間の姿が,狼男の物語の背景にあります。人間の自然との関わり,自然に対する素朴な敬意と共存の形が,科学と社会の発展の中で壊れていく歴史が,狼男の姿には見て取れます。モンスター達の中では,ギリシャ・ローマ文学にまでさかのぼれる,もっとも「由緒正しい」ものです。

 ドラキュラは歴史上の人物で,そもそも19世紀イギリスの劇作家ブラム・ストーカーの創作ですが,西ヨーロッパの政治的・文化的勢力圏が広がり,バルカン半島の「珍奇で未開の」事物に興味と関心が高まるなかで,死者が生者を脅かす「ヴァンパイア」神話が複合的に発展する中で生まれてきます。死者への畏怖,死と生の境界のありよう,異世界との関わりが,近代社会に向けて変容していく姿が形象化されています。ヴァンパイアの最古の記録は,1728年にラテン語で書かれた,ドイツのランフト牧師の書物ですが,いずれこの資料も紹介したいと思います。

 1945年8月6日広島に世界初の原子爆弾が使用されました。当日撮影したものと確認されている写真が何枚か残っています。その中の2枚,旧市街南部の御幸橋まで命からがら逃げ延びた人々の姿を捉えた中にいる少女が現時点でなお存命であり,当時の状況を証言しています。奇跡的に殆ど無傷であった彼女たちは火災の中を必死で南の方に避難しますが,大火傷を負った大量の被災者を目撃します。そのたびに被災者たちの余りに悲惨な姿に恐れおののき,まだ子供であった彼女たちは「お化けが来た!」と叫んで逃げ惑ったそうです。

 モンスターの系譜はここから始まっているのではないかと,私は授業で話します。私たちが恐れ、忌避し,それでも何時までも繰り返し見たがってしまうモンスターの正体は,ここにあるのではないかと。
 モンスターの物語が創作の物語であるのは,平和と幸福の証しなのではないかと。

春休みの自主ゼミ

 今年の春休みは,現代フランス語は簡約版で Alphonse Daudet: Lettres de mon moulin を,現代ドイツ語は原文で Franz Kafka: Erzählungen を講読します。次回は2月15日(水)18:00~20:00,人社研科長室で行う予定です。関心のある方はどうぞお越しください。

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カールスバートのオプラート

 前にちょっと触れたお菓子の話の続きです。
 チェコの西部にある有名な温泉町カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)は,もとはカールスバート(Karlsbad)と呼ばれ,ハプスブルク帝国の富裕層の保養地で,ドイツ系住民が多く住んでおりました。第二次大戦後にドイツ系住民は強制退去になりました。ゲーテが老いらくの恋で騒ぎを起こして息子に自宅まで連れ戻された一件が確かこの地であったことです。
 この町に昔からある名物が,「カールスバートのオプラート Karlsbader Oblaten」(現在はチェコ語で 「カルロヴィ・ヴァリのオプラート Karlovarské oplatky」)というお菓子です。ちょうど風月堂のゴーフル,それも昔ながらの大型のあれにそっくりなお菓子です――というか,話は逆で,風月堂のゴーフルの源流がこの「カールスバートのオプラート」です。挟んであるクリームが風月堂の方がはるかに洗練されていて,オプラートはナッツや香料の混ざった白砂糖の溶かしたものが塗り付けてあり,じゃりじゃりした食感,おまけに不用意にかぶりつくと,ばらばらその砂糖がこぼれおちて食べにくい。
 問題は当然この名称でございます。

 オプラートというのは「オブラート」としてどうも日本で独自の発達を遂げたので,どうしてゴーフルがオブラートと呼ばれているのかピンときません。
 この炭酸煎餅の(有馬温泉などの温泉地で有名な炭酸煎餅は,オプラートにヒントを得て作り出されたようです)ような焼き物は,元来種無しパンの一種の保存食で,鉱泉の水を使って小麦粉を薄く焼き固め,あの軽い食感を工夫したのだそうです。
 その軽いところから,水に浸して柔らかくし,薬などをくるんで飲んでいたらしい。そのオブラート,デンプンから作られる水に溶けやすい半透明の食べられる薄い膜にまで開発発展させたのは,日本人なのだそうです。昔はお菓子をよくオブラート包んで売っていましたが,いまではボンタンアメとか兵六餅とかくらいにしか見ません。「オブラートにくるむ・つつむ」などという慣用表現は,実感が伴わず,もう死語なのでしょうね。

 さてこの「オブラート」という名前ですが,ラテン語の oblatum から来ています。初級ラテン語で最も苦労させられる語彙の一つが fero の派生語ですが(不定形:ferre,完了形:tuli,過去分詞:latus, -a, -um !),これも offero 「提供する,捧げる」という語の過去分詞から作られました。すなわち「捧げ物」(offering !)という意味です。
 キリスト教のミサや礼拝で用いるホスティア「聖体」「聖餅」に,このよう薄焼き煎餅のようなものを使うので(カトリック教会では今日でも),この名前があります。

 これが私たちの知るお菓子「ワッフル」に発展するのは,フランドル地方であったようです。生地そのものよりも,焼き印に注目し,火が通りやすくぱりぱりした触感の楽しめるあの独特の井桁模様にしていきます。Waffelという名は,Wabe「蜂の巣」から来ているようです。これらは遠くweben 「織る」につながります。ウェハースというのも,同じものです。
 
 この "w" の発音は,16世紀以前は現在のドイツ語等の /v/ と違い,英語と同じ発音 /w/ でしたが,フランス語では正確に発音できなかったようです。そこで/gj/(ギャギュギョの音)で代用します。一番似ている音だと思ったらしいのです!「ウィリアム William」 が「ギョームGuillaume」 になる類です。
 そこで「ワッフル wafel」 も「ゴーフル gaufre」 になります。しかしワッフルはワッフルだけで,独特の大発展を遂げたのですが,それはお若い方の方が良くご存じでしょう。
 日本には別々のルートで入ってきたので,名前も形も,もともと同じものであったとすぐには分からないようになっています。

 ホスティアの長い数奇な歴史であります。

谷口ジロー 逝く

 つい先ほど,世界的に有名なマンガ家,谷口ジローの訃報を知りました。まだ69歳であったということです。まだまだ活躍して頂きたかったのに,一読者としても,一研究者としても残念です。

 http://mainichi.jp/articles/20170212/k00/00m/040/094000c

 フランスの芸術文化勲章や,アングレーム国際漫画祭で種々の受賞など,国際的に評価が高く,むしろ海外で有名なマンガ家でした。漫画翻訳研究は国際日本研究だけでなく,そもそも今日のグローバル社会で文化交流・文化伝承に関わる者にとっては不可欠のテーマでありました。日本漫画がここまでの国際的地位を築くのに,大友克洋や宮崎駿と並んで谷口ジローの功績はまことに大きかったと思います。
 謹んで哀悼の意を表します。

 Sit tibi terra levis !

バグダード大学との交流協定

イラクのバグダード大学が、日本の大学として初めて千葉大学と学術交流協定を結びました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170214/k10010876591000.html

活発な交流が進むことを期待します。

「古典文庫」

 少し必要があって,天才と呼ばれながら若くして惜しまれつつ亡くなった19世紀ドイツの作家グラッベ Christian Dietrich Grabbe (1801 - 1836) の戯曲『ドン・フアンとファウスト』 "Don Juan und Faust" (1828) のことを調べておりましたら,2つのことでたいへん驚きました。
 第一には,この作品の1829年の初版本がPDF版となってドイツのバイエルン州立図書館によって公開されていることで,日本に居ながらにしてテクストのチェックが可能だということでした。
 第二には,1967年にこの作品が和訳されていたということでした。古い岩波文庫に意外な和訳を見つけるというのはしばしばあることですが,これは例の「古典文庫」でありました。

 私より上の世代であれば、現代思潮社の「古典文庫」のことを、特別の感慨を持って思い出される人が多いかと思います。現代思潮社は現在は現代思潮新社となっていますが,まだ「古典文庫」の一部は出版されているようです。
 レッシング『ハンブルク演劇論』,ブラント『阿呆船』、グリンメルスハウゼン『クラーシェ』,ミシュレ『魔女』,ヴァレリー『テスト氏』,ネルヴァル『幻視者』…澁澤龍彦がリストを作ったのだそうですね。とても採算がとれるとは思えないラインナップですが,ヨーロッパ文学史を深く考えるのに貴重なものばかりです。一度でもこうして出版しておいてもらえれば,図書館ででも古本ででも何とか再び利用できる可能性は広がります。これらの書物にそういう可能性が残されたことが,どれだけ貴重であるか。
 文学も外国語も役に立たない,即戦力に結びつかないので,疎まれ,蔑まれ,迫害され,放置され,もう枯渇してしまいました。これだけの翻訳をリストアップできる人材も,それに応えて現実に翻訳を行える人材も,それを読みこなせる人材も,誤訳やより良い訳を提案できる人材ももうすぐ伝説の中にしか残らなくなります。お気づきにならないかも知れませんが,あって当たり前だと思っていた人文学の基礎的書物や知識そのものが音立てて毎日消滅し,誰にも分からなくなりつつあります。これらはロストテクノロジーなのです。

 まだ何か出来ることがあれば,と切に思います。

水島治郎『ポピュリズムとは何か』 続報

千葉大学教授 水島治郎『ポピュリズムとは何か』(中公新書)の評価が高く,水島先生が引っ張りだこです。下に張り付けておきましたが,朝日新聞は登録しないと読めません。読売新聞に至っては,2017年1月16日付文化欄の水島先生のインタービュー記事を電子化していません!

http://mainichi.jp/articles/20170122/ddm/041/030/120000c

http://www.sankei.com/life/news/170104/lif1701040004-n1.html

http://dokushojin.com/article.html?i=829

http://www.asahi.com/articles/DA3S12757701.html

マックスコーヒーパン

 千葉駅の改装が完成し,駅ナカのお店が充実したというので,この前やっと覗いてみることができました。お目当ては,「カワシマパン」の「マックスコーヒーパン」です。

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 脳天に突き抜ける甘さと,私でも覚悟の必要なボリュームがまず特徴。期待通りのおいしさでありました。一緒に買った粒々入りのピーナツクリームもよかった。

 お世話になっている千葉県の名物をもっと宣伝しないといけませんね。