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女子の留学

 休みも終わりかけていますが,この夏を利用して多くの学生が海外研修に出かけたことと思います。昔に比べて留学はずいぶんハードルが低くなったように言われますが,それでも心身ともになかなか負担の大きいものであることは変わりないと思います。30年以上前の自分のことを思い出しても,胸を膨らませて出かけ,目も眩むような楽しい出会いにも発見にも体験にも恵まれましたが,辛く寂しい思いも沢山しました。今は自分や当時の仲間の子供たちがあちこちに留学し,交流しているのを見ると,胸がいっぱいになります。
 こんな経験をしながらつくづく思いをはせるのは,近代日本創世記の留学生たちのことです。特に女子留学生の並々ならぬ苦労を思うと,粛然たる気持ちになります。津田梅子・瓜生繁子・大山捨松の話を,機会を見ては学生たちにするようにしています。既にアメリカに向かう船の中でこの女子留学生たち(この3人ではなく,志半ばで惜しくも体調を崩して帰国した年長の2人だそうですが)に対するセクハラ事件と模擬裁判という騒ぎまであったのだそうで,女子留学生の身の危険は今も昔も変わりません。
 そんなことを思いながら,2017年度松本清張賞を受賞した滝沢志郎『明治乙女物語』を楽しく読みました。タイトルや本の装丁に批判もあるようですが,私は気になりませんでした。自立と自活と男女同権を目指して初期の女子高等教育や留学に挑み,苦労しながら成果を積み重ねていった少女たちの話を,もっともっと,いくらでも,いろんな形で,楽しい物語にしてほしいと思います。私の学生たちや娘たちが今あるのも,この人たちのおかげだと思うのです。

水島先生,石橋湛山賞受賞!

 昨日8月22日(火),中公新書『ポピュリズムとは何か』(著者・水島治郎、2016年12月20日発売)が,2017年度・第38回「石橋湛山賞」を受賞したと発表がありました。
 「日本でも既存政治への不信が募るなか,ポピュリズム的現象と直面しつつあり,本書のもつ価値はきわめて高いものがある」と評価されたということです。
 水島先生,おめでとうございます。

 水島先生は,本学府の基本理念である公共学を担ってきた中心的メンバーのお一人であり,水島先生の受賞は本学府にとっても大きな喜びであります。

未払い賃金の叫び

 学府長室並びに会議室のエアコン修理が8月いっぱいかかりそうです。個人研究室の方に待避する状態が続いています。おかげでこの夏休みは,研究語学支援授業を積極的に開けないでいます。一人ずつなら何とかなりますので、どうか遠慮なく相談に来てください。

 このブログの更新も遅れ,とうとうお盆休みも終わってしまいました。先にベン・シラの嘆きをご紹介したので,今度は新約聖書から「未払い賃金の叫び」を紹介します。案外知られていませんが,キリスト教の立場から労使関係を考える人々には良く知られた箇所です。

「ごらんなさい,あなたがたの畑の刈取りをした労務者に未払いになっている賃金が叫んでいます。そして,刈入れをした人々の叫びは,万軍の主の耳にはいっています。」ヤコブの手紙5.4

ecce merces operariorum qui messuerunt regiones vestras qui fraudatus est a vobis clamat et clamor ipsorum in aures Domini Sabaoth introiit. Epistula Iacobi 5.4

 新約聖書の最後の方,パウロの書簡の後,「黙示録」の前に,「全キリスト者への手紙」と呼ばれる書簡(ヤコブ,ペトロ,ヨハネ,ユダ)が7本あります。このうちの「ヤコブの手紙」の中にある,金持ちに対する警告の部分です。「全キリスト者への手紙」は,順不同で分かりやすく知恵や道徳を説くタイプのもので,あまり注目されることはありませんが,親しみやすいものです。この個所も,旧約聖書の「知恵の書」1.16-2.20にるる述べられ,糾弾されている「悪人の人生観」を分かりやすく説明したもののようです。

 ともかくも,ここにある通りです!ごたごた言うことはありません!
 人を奴隷扱いして,尊い労働を買い叩いたり,不払いという形で盗むなどは,はっきりとした悪であり,人の心があるならばすぐに改めるべき犯罪です。「万軍の主」にお出ましいただくのも心苦しいほどです。

 こき使われ,苦しめられている若手研究者の皆さん。暑い夏のさなかにも,雨の降る中も,何かと雑用にこき使われている若手研究者の皆さん。主はあなた方とともにあります。きっとあなた方を迫害している悪人には罰が当たりますから。(罰せられるのは,まず私からですね,ごめんなさい,分かっています・・・)

ベン・シラのぼやき

 旧約聖書に「シラ書」または「集会の書」と呼ばれる,「知恵文学」「教訓書」に分類される一書があります。プロテスタント教会では正典とされず,カトリック教会でも正典とされるものの,今日取り上げられることが少ないように思われます。(古い日本語版には含まれていません)
 初代教会ではこの書はとても大切にされ,ヒエロニムスやキプリアヌスやルフィヌスが書き残すところによれば,求道者の教理教育の教科書として使われたために,「教会(集会)の書」Ecclesiasticus と呼ばれるようになったのだそうです。だから,中世の文献には盛んに引用されます。いつの間にかそんなに触れられなくなってしまいました。
 私が学生の頃 Carmina Burana を読み進めていた時も,先行研究によって多くの箇所が「シラ書」との関連を指摘されていたのですが,自分で確認しようにも「シラ書」のテクストも解説書もすぐには見当たらず,苦労した覚えがあります。
 「コヘレト」や「雅歌」に比べれば,荘重さや美しさに欠けるかもしれませんが,「シラ書」において分かりやすい格言の形で述べられる知恵の数々は,親しみやすく滋味深いものです。特に私は,その中に不思議な諧謔が感じられて,愛好しています。

13.26 ἴχνος καρδίας ἐν ἀγαθοῖς πρόσωπον ἱλαρόν, καὶ εὕρεσις παραβολῶν διαλογισμοὶ μετὰ κόπων.
14.1  μακάριος ἀνήρ, ὃς οὐκ ὠλίσθησεν ἐν τῷ στόματι αὐτοῦ καὶ οὐ κατενύγη ἐν λύπῃ ἁμαρτιῶν·

楽しげな顔付きは,幸福な心のしるし。―――しかし格言を作るのはつらい仕事である!―――
口を滑らすことがなく,罪の苦しみに悩まされることのない人は幸いである。

 フランシスコ会版から引用しましたが,この個所に特に注記はありません。しかしこの挿入句は何でしょう?次の格言とのつながりをみると,私は可笑しくて仕方ありません。一体聖書の中にこんなユーモアがあったでしょうか。言葉遊びは結構あるらしいのですが,笑うところだと教わった覚えはありません。
 たった一言だけですが,上で引用したベン・シラのぼやきはとても印象深く,他の箇所を読んでも頭を離れず,何だか昔知っていた老人の表情と声で全てが聞こえてきたりします。こんな聖書の読み方は間違っているのでしょうが,ほかの箇所とは違った意味で,読むたびに幸せな気持ちになるのは,なんともしがたいのです。


学府長室一時閉鎖!

 7月12日(火)の午後から,人文公共学府棟の空調が故障し,学府長室も冷房が効かなくなったため,しばらく封鎖しておりました。私は文学部棟の個人研究室の方に待避しておりました。いろいろご不便をおかけして申し訳ありませんでした。
 ようやく7月18日(火)には点検修理が入る見込みです。

 まだ夏休みが家族と一緒にとれた頃,大昔の写真ですが,せめても暑さをしのぐお手伝いに。

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人文公共学府 進学説明会

 (日程を訂正しました。ご注意ください。)
 本学府前期課程の進学説明会を行います。人文系と公共社会系とにわけまして:

  第1回  7月12日(水)17:00-18:30 公共社会系    文学部棟2F 203講義室
  第2回  7月13日(木)17:00-18:30 人文系      文学部棟2F 203講義室
  第3回 10月18日(水)17:00-18:30 公共社会系    文学部棟2F 203講義室
  第4回 10月19日(木)17:00-18:30 人文系      文学部棟2F 203講義室

   以上4回開催いたします。予約不要です。どうぞ奮ってご参加ください。

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『マンガでわかる 戦後ニッポン』

 一昨年2015年に出版された本なので,とぼけた紹介になって申し訳ありません。編集者の名前がないのですが(各作品解題・中野晴行,解説・内田樹となっています),このアンソロジーには,手塚治虫「紙の砦」から村上もとか「あなたを忘れない」まで13本,戦後日本の文化史・精神史・世相史を典型的に描いた名作が集められています。どの作品も(多くは私ですら再読のものですが)思わずうなるほどの傑作とはいえ,今となっては歴史を描いた貴重な作品であり,その意味で若い人々は注釈と説明抜きには理解できないでしょう。一本ずつ毎回取り上げて丁寧に解説を加えていくだけで,極めて有益な半年間の大学授業になるに違いありません。

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 私の個人的な趣味から言わせてもらうと,大好きな諸星大二郎の作品の中から,「不安の立像」が選ばれていたことにも(「商社の赤い花」とかではなく),賛嘆の思いを禁じ得ませんでした。
 戦後史を批判的に総括し,何を断固として継承し守るべきであり,何を果敢に克服すべきであるのか,明らかにし,広い合意を形成することが必要な時期にあると思います。この13本の作品は,そのための大きな手掛かりになると思います。

河島思朗(監修)『ギリシャ語練習プリント』

 同じ監修者の『ラテン語練習プリント』に続いて,『ギリシャ語練習プリント』がこの度上梓され,御恵贈いただきました。ありがとうございます。ラテン語の場合と同じコンセプトに立ちながら,今回はギリシャ文字を習得する,という新しい課題が付け加わります。この課題がまた見事にこなしてあります。アクセントや気息記号が見えやすいように,かなり大きめの活字でギリシャ文を組んであるのは,これまで案外なかった配慮なのです。私にとっても,加齢によって今のように老眼に苦しむずっと以前,学生の頃から,ギリシャ語の記号は見分けにくいものでした。また付録に「パソコンでギリシャ文字を表示する」があり、Polytonic の使い方が説明してあるのも,現代の学習書にはふさわしいことと思います。(私は Latex を使いますが,面倒がって学生諸君なかなか一緒になって使ってくれません!)
 ギリシャ語は長いこと担当していないので,すぐに使ってみる機会がないのが残念ですが,早速今日,サンスクリット語の授業で紹介しておきました。いずれ自主ゼミででも使おうと思います。本当にいい時代になりました。

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「かむなぎうた」

 日経新聞に堀江敏幸氏が連載している「傍らにいた人」は,国木田独歩の「忘れえぬ人々」に着想を得ながらも,独特の視点から縦横に諸作品を論じていて,毎回楽しく読んでいます。取り上げる作品のひろがりはさすがで,6月24日付では日影丈吉(1908-1991)の「かむなぎうた」まで対象になったのには,本当に舌を巻きました。日影丈吉は私の大好きな作家のひとりで,今はもうなくなってしまった現代教養文庫の『傑作選』全4巻も,河出書房の『選集』も,国書刊行会の『全集』も揃えてしまったほどです。(古本で初版本を探すまでのマニアではありません)
 日影の作品についても,堀江氏の文章についても,何を言っても,いわゆる「ネタバレ」になりますので,慎んでおきます。堀江氏の連載は,これだけの名文ですから,必ず連載完結後に単行本となって出版されると思います。私も楽しみにしていますし,皆さんもどうか手に取ってみてください。文学を読む楽しみ,その豊かさが,静かにみなぎる教養と思惟の深みから自然にあふれ出てきます。
 日影丈吉もぜひどうぞ。私は,「吉備津の釜」と「飾燈」が好きです。

ラテン語の第二回説未来について

 「第二回説未来」という用語を使ったら,「第二回・説未来」と読んで意味が分からず,質問してきた方があったので,改めて説明しておきます。

 「回説」(かいせつ)または「迂言」(うげん)というのは,periphrastic の和訳ですが,ラテン語とギリシャ語でしか使わないようです。たとえば動詞変化の文法カテゴリーが,一つの動詞の変化形だけでは表せず,機能動詞(助動詞)と動詞派生語(分詞や不定詞)による複数の語によって表されることです。近代諸語では当たり前で,「have + 過去分詞」とか「werden + 過去分詞」というあの形式です。動詞については,現代フランス語文法で使う「複合時制」とおなじことなので,私はこちらで統一した方が良いと思います。ちなみにサンスクリット語では「複合」を使っています。

 古代の言語は単一の語の変化で全ての文法カテゴリーを表す「統合的」タイプ(synthetic)だが,近代語は複数の語で表す「分析的」タイプ(analytic)に変化した,と大雑把に説明されることがよくあります。言語類型学(language typology)のごく基礎段階の話です。
 ラテン語:mutabor → 英語:I will be mutated.
 (この例文でピンときた方はかなりのマニアです。ハウフ「コウノトリになったカリフ」に出てくる呪文です。花田清輝がこれについて評論を書いています。)

 けれども,現代語を考えてみてもわかりますが,統合的タイプと分析的タイプは,一つの言語の中で交じり合っています。良い例が形容詞の比較変化です。フランス語では分析的変化の一本鎗(plus),ドイツ語では統合的変化の一本鎗(-er/est),英語では形容詞の語尾によって統合的変化(-er/-est)と,分析的変化(more/most)を使い分けます。

 さて,ようやく本題です。ラテン語の時制は,直説法の6時制のうち,完了系の3時制の受動態だけが esse + 過去分詞 による分析的変化(回説変化!)で,残りはすべて統合的変化です。
 ところが用例は少ないのですが,この動詞変化体系とは別に,回説未来(複合未来!)があるのです。第一と第二の二種類がありまして,第一は esse + 未来分詞,第二は esse + 動形容詞(gerundivum)です。第一を能動態,第二を受動態として使い分けます(お分かりのように,従って特に第二はモダリティの問題と不可分になりますが,ここでは立ち入りません)。
 主動詞よりも後のことを表すので,回説未来(futurum periphrasticum)と呼ぶのですが,主動詞の時制に一致させ,結局 esse の全時制において変化可能なので,単に「回説変化(conjugatio periphrastica)」と呼ぶ文法書もあります。Kühner のものがそれで,古い文法書ほど詳しい説明があるようです。日本語で書かれた文法書では,あの『新ラテン文法』以外に詳しく扱ったものはありません。要は間接話法で「未来」=「主動詞よりも後に発生する」ことを表現するために用いる動詞変化です。

 入門段階でも詳しく説明する時間的余裕はないし,かといって講読授業でテクストに頻繁に現れて解説を補えるものでもなく,教師の泣き所です。折角の機会なので,この場を借りて簡単に説明させてもらいました。