So-net無料ブログ作成
検索選択

ディルンドル

 修了生が去ってしまった研究室は本当に寂しく,当分慣れません。
 
 修了・引っ越しと忙しいので,毎年修了生たちは始末に困り,「何か」を研究室に残していきます。自分で捨てたくもないが,新生活に持って行くわけにもいかない,そういう雑多なものです。こちらも勝手に捨てることができず,何だか得体の知れないものが研究室に増えていくのです。
 これなどは,南ドイツ・バイエルン地方の民族衣装 Dirndl (ディアンドル,という風にカナ書きされることが多いようです)ですが,確かにとても可愛らしいもので,私自身娘たちが小さかった時に,思わず子供用のこれを何着も買ってしまった覚えがあります。オクトーバーフェストといえばこれでしょう,そんな気になるのもわかります。
 だから院生が思わず買ってしまった気持ちもよく理解できるのだけれど,置いて行かれると,とても困るんだけど。どうすれば良いの。

                  IMG_0252b.jpg

2018年度大学院修了式

 本日,千葉県文化会館にて平成28年度千葉大学大学院修了式が行われました。昨日の学部卒業式に続き,900人を超える修了生が旅立っていきました。内部進学してまた明日から続けて学園生活を共に出来る院生もいますが,手の届かないところに去って行く修了生もいます。喜びと誇りに満たされると同時に,襲ってくる強烈な寂しさには,何年何回この卒業・修了の節目を繰り返しても,慣れることがありません。教員という職業が幸せすぎるので,こうして毎年罰が当たり,中和されているかのようです。

 さようなら,みなさん,お元気で。

20170324.JPG

http://www.chiba-u.ac.jp/others/topics/info/post_227.html

https://twitter.com/Chiba_Univ_PR/status/845205337388924929

いつもお花をありがとう

 文学部棟の一階エントランスに,いつも事務の方がきれいなお花を飾ってくださいます。構内の花を上手に使う時もありますが、良い花のない時には寄付してくださっているようです。美しいお心遣い,本当にありがとうございます。
 それより問題なのは,私の写真の下手さです。

hana4.jpg

hana2.jpg

hana3.jpg

セミとキリギリス

 現代日本文化がどのように翻訳紹介され,国際的に受容されているのかについて,昔とは比べ物にならないくらい質量ともに向上した日本現代文化の翻訳,現代小説やマンガやアニメ等の英訳・ドイツ語訳・フランス語訳・中国語訳などを日本語原文と比較して精密に分析する研究分野が大きく発展しています。
 この分野で研究を続けている院生さんが,奇妙な「誤訳」に突き当たりました。奇妙な意訳や誤訳はそれこそ山のようにあり,そこにかえって現代日本文化の海外発信が持つ本質的な可能性や問題性が明らかになっている場合がよくあります。しかしこの院生さんが遭遇した「誤訳」は,研究者にとっては背景が明らか過ぎるという点で,かえって奇妙なものでした。
 あるマンガにあった「セミ」という語が,ドイツ語で「Grille (コオロギ、キリギリス)」と翻訳されていたのです。「セミ」を「キリギリス」と意訳するというのは,これはもう,比較文化・文化伝承・翻訳の研究の分野では基礎中の基礎の事例です。1970年代に小堀桂一郎が『イソップ寓話 その伝承と変容』で明らかにした問題です。この名著はその当時中公新書でしたが,今は講談社学術文庫に入っています。イソップ寓話発祥の地ギリシャのような南ヨーロッパではセミは珍しくない生物だが,北ヨーロッパにはほとんど生息しておらず,なじみがありません。そのため,ラ・フォンテーヌがイソップ寓話を翻案する際に,セミを,北ヨーロッパの読者にもなじみ深いキリギリスに意訳したのでした。これをさらにディズニーがアニメ映画にしているので,世界中に定着してしまいました。ある日本の新聞が「アリとセミ」と書いたら,「アリとキリギリス」の間違いだろう、怪しからん、という読者からの抗議が殺到した,というエピソードを聞いたことがあります。
 この伝承研究があまりにも有名なので,つい当たり前で,誰でも知っているような気になります。しかしこのイソップ寓話の伝承と変容が,こちらのマンガの「誤訳」にも影響していると言えるでしょうか。試しに日本語の堪能な若いドイツ人に聞いてみたところ,なぜ日本語の「セミ」が「コオロギ(キリギリス)」とドイツ誤訳されているのか,全く分からない,ということでした。
ここで今院生さんが四苦八苦しているところです。
 以下この院生さんの中間報告です。
 傍証ですが,ドイツ語でコオロギ(キリギリス)の鳴き声などを表す zirpen という動詞があります。これがいくつかの独独辞典で「セミやコオロギの鳴き声を表す」と説明されています。なぜこんな説明をしているのかと不思議になり,辞書の辞書である Grimm の大辞典を調べたところ,1)コオロギやセミの鳴き声,2)小鳥の鳴き声,3)ネズミの鳴き声等とありました。どうもグリム大辞典が典拠となり,あちこちの辞典に引き写されていった様子です。
 辞典によくあるのですが,実物に直接当たらず,別の辞書を引き移していくために,誤解が広がったりするのです。面白おかしいエピソードに事欠きません。
 セミがコオロギ(キリギリス)と意訳されるには,されるだけの背景があったということらしい。この奇妙な「誤訳」の背景には,生物の鳴き声,特に「虫の声」に対する,日独のこれだけの感受性・文化的蓄積の差があるようです。

 それにしても,一体ドイツ人には zirpen どんな音で聞こえているのでしょうか?分かりますか?
 こういうことを調べ,考えていくことこそ文化伝承・翻訳・国際理解研究の醍醐味であり,こたえられない味わいだということは分かりますが,zirpen を実感的に理解することはなかなか困難です。いずれこの院生さんが,このテーマで面白い論文をまとめてくれるのを楽しみに待つことにいたします。

※セミをコオロギにしたのは,ラ・フォンテーヌよりイギリスのシュタインヘーヴェルの方が先だとか,院生さんからうるさい訂正が入っていますが,まああらあら上のようなことです。

林京子 逝く

 作家の林京子氏が亡くなったそうです。14歳の時に長崎で被爆し,作家となって,被爆者の終わらぬ苦しみを書き続け,原爆文学の傑作を生みだしました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170301/k10010894881000.html

http://www.asahi.com/articles/ASK3141N4K31UCLV009.html

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H88_R00C17A3CC1000/

http://mainichi.jp/articles/20170302/k00/00m/040/118000c

http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20170302-OYS1T50001.html

http://www.sankei.com/life/news/170301/lif1703010060-n1.html

http://jp.reuters.com/article/idJP2017030101001281

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017030100904&g=obt

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201703/CK2017030202000128.html

 私自身は大阪の生まれで,一族にも被爆者はおりませんが,少年時代を広島で過ごしたため,被爆二世の友人が多く,被爆者のことも原爆文学のことも無関心ではいられません。林京子氏が芥川賞を受賞されたのが私が高校生の時で,以来その作品を愛読してきました。
 福島の原発事故があった後は,被爆問題は広く日本人全員の問題であり,戦後日本の在り方の本質を照らし出し,日本の将来にかかわる問題なのだと思います。そのことを,林京子氏の作品によって,熱い思いを秘めた,美しい静かな語り口でいつも教えてもらいました。
 若い世代にぜひ読み継いでもらいたいと思います。

 謹んで哀悼の意を表します。
 

マックスコーヒーパン

 千葉駅の改装が完成し,駅ナカのお店が充実したというので,この前やっと覗いてみることができました。お目当ては,「カワシマパン」の「マックスコーヒーパン」です。

IMG_0198.JPG

 脳天に突き抜ける甘さと,私でも覚悟の必要なボリュームがまず特徴。期待通りのおいしさでありました。一緒に買った粒々入りのピーナツクリームもよかった。

 お世話になっている千葉県の名物をもっと宣伝しないといけませんね。

水島治郎『ポピュリズムとは何か』 続報

千葉大学教授 水島治郎『ポピュリズムとは何か』(中公新書)の評価が高く,水島先生が引っ張りだこです。下に張り付けておきましたが,朝日新聞は登録しないと読めません。読売新聞に至っては,2017年1月16日付文化欄の水島先生のインタービュー記事を電子化していません!

http://mainichi.jp/articles/20170122/ddm/041/030/120000c

http://www.sankei.com/life/news/170104/lif1701040004-n1.html

http://dokushojin.com/article.html?i=829

http://www.asahi.com/articles/DA3S12757701.html

「古典文庫」

 少し必要があって,天才と呼ばれながら若くして惜しまれつつ亡くなった19世紀ドイツの作家グラッベ Christian Dietrich Grabbe (1801 - 1836) の戯曲『ドン・フアンとファウスト』 "Don Juan und Faust" (1828) のことを調べておりましたら,2つのことでたいへん驚きました。
 第一には,この作品の1829年の初版本がPDF版となってドイツのバイエルン州立図書館によって公開されていることで,日本に居ながらにしてテクストのチェックが可能だということでした。
 第二には,1967年にこの作品が和訳されていたということでした。古い岩波文庫に意外な和訳を見つけるというのはしばしばあることですが,これは例の「古典文庫」でありました。

 私より上の世代であれば、現代思潮社の「古典文庫」のことを、特別の感慨を持って思い出される人が多いかと思います。現代思潮社は現在は現代思潮新社となっていますが,まだ「古典文庫」の一部は出版されているようです。
 レッシング『ハンブルク演劇論』,ブラント『阿呆船』、グリンメルスハウゼン『クラーシェ』,ミシュレ『魔女』,ヴァレリー『テスト氏』,ネルヴァル『幻視者』…澁澤龍彦がリストを作ったのだそうですね。とても採算がとれるとは思えないラインナップですが,ヨーロッパ文学史を深く考えるのに貴重なものばかりです。一度でもこうして出版しておいてもらえれば,図書館ででも古本ででも何とか再び利用できる可能性は広がります。これらの書物にそういう可能性が残されたことが,どれだけ貴重であるか。
 文学も外国語も役に立たない,即戦力に結びつかないので,疎まれ,蔑まれ,迫害され,放置され,もう枯渇してしまいました。これだけの翻訳をリストアップできる人材も,それに応えて現実に翻訳を行える人材も,それを読みこなせる人材も,誤訳やより良い訳を提案できる人材ももうすぐ伝説の中にしか残らなくなります。お気づきにならないかも知れませんが,あって当たり前だと思っていた人文学の基礎的書物や知識そのものが音立てて毎日消滅し,誰にも分からなくなりつつあります。これらはロストテクノロジーなのです。

 まだ何か出来ることがあれば,と切に思います。

バグダード大学との交流協定

イラクのバグダード大学が、日本の大学として初めて千葉大学と学術交流協定を結びました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170214/k10010876591000.html

活発な交流が進むことを期待します。

谷口ジロー 逝く

 つい先ほど,世界的に有名なマンガ家,谷口ジローの訃報を知りました。まだ69歳であったということです。まだまだ活躍して頂きたかったのに,一読者としても,一研究者としても残念です。

 http://mainichi.jp/articles/20170212/k00/00m/040/094000c

 フランスの芸術文化勲章や,アングレーム国際漫画祭で種々の受賞など,国際的に評価が高く,むしろ海外で有名なマンガ家でした。漫画翻訳研究は国際日本研究だけでなく,そもそも今日のグローバル社会で文化交流・文化伝承に関わる者にとっては不可欠のテーマでありました。日本漫画がここまでの国際的地位を築くのに,大友克洋や宮崎駿と並んで谷口ジローの功績はまことに大きかったと思います。
 謹んで哀悼の意を表します。

 Sit tibi terra levis !